偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
「……お前は嫌じゃないのか?」


「え?」


「煩わしくないのか?」


カチャリと彼がスプーンを皿の上に置いて、真っすぐに私を見つめてくる。

思わず見惚れそうになるくらい綺麗な目には真剣な光が宿っている。


「煩わしいって、なんで?」


「俺たちの結婚の経緯から考えたら、理解や歩み寄りなんて面倒でしかないだろ」 


「この結婚を最終的に選んだのは私よ。少しでもわかりあいたいと思うのは当然でしょ」


私の強い口調に、彼がさらに眉間に皺を寄せる。


「言っておくけど櫂人さんに家事アピールをしたいとか、恩を着せたいとかそんな考えも一切ないわ」


震える心を叱咤して言い切る。

激しい心音に吐き気がしそうだ。

平静を装うのも限界に近い。

それでも今、これだけは言っておかなければとなぜか強く思った。

この人には、変な誤解をされたくない。


「……ありがとう」


「え、あの」


ふわりと困ったように眉尻を下げる彼の姿に、瞬きを繰り返す。

こんな優しい表情を初めて見る。

ずいぶん自分勝手な意見を口にしたのに、怒られるどころか、礼を言われるなんて。


「俺の妻は手強い」


ククッと声を漏らす姿は、いつもの彼でホッとする。


「お手並み拝見だな」


どこかからかうような響きに、受け入れてもらえたのだと悟る。

ただそれだけが、なんでこんなにも嬉しいのだろう。
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