町娘は王子様に恋をする

08

 九時をまわった街はまだ煌々と灯りがついている。
 今からだと電車の時間は、と考えながら歩く。隣を歩く先輩も一駅とはいえ電車組だ。

「先輩、ご飯はどうするんですか?」
「えー、コンビニ? 宇佐見は?」
「お茶漬けですかねー。ご飯は炊いてるので。おかずは冷蔵庫に何かあったはず……」
「いいなー、温かいメシ」
「コンビニで温めて貰えますよね?」
「そうだけどそうじゃないっていうかなあ……」

 わかってないなぁと何やら伝わらなさにがっかりされてしまった。羽柴先輩は相変わらずご飯に関して自炊はあまりしないらしい。よほど気乗りした時か、冷凍庫と冷蔵庫に物があればするのだと。
 栄養のバランスを考えるに、近頃の市販品もなかなかに侮れないところはあると思うが、出来合いを買うのと作ったものとではまた違うから、そういうことを言いたいのかもしれない。母の味が恋しい、ということか。

「昔、宇佐見がくれたクッキーとかケーキとかうまかったな」
「そう言えば作りましたね。また今度作ってきましょうか? でもそれお菓子ですよ」

 食事とは言えないものだが、お菓子ならば会社に入ってからも時々持って行って、同期と分けてはいる。三時の休憩に摂る市販のチョコやら出張土産なんか小腹にぐんぐん吸収されるというものだ。
 言ってみるもんだな、と羽柴先輩が嬉しそうに笑う。でもすぐに現実に帰って、今晩まずなに食うかだなー、と項垂れる。考えるのも面倒らしい。
 駅までの道のりを一人なら早歩きしてしまうところだが、そんなことをぐだぐだと話しながらゆっくり歩く。
 駅について改札を抜けると羽柴先輩が時刻を表示した電子掲示板を見上げながら立ち止まって、宇佐見はこっちだっけと上り線を差す。羽柴先輩は下り線だから反対側だ。

「送ろうか?」
「大丈夫ですよ、前もちゃんと帰れましたから」

 ちょっと心配そうに、羽柴先輩が聞く。灯りはあっても夜道は危ない。思いもしないところから巻き込まれたりするものだ。
 奥のホームからアナウンスが聞こえてくる。その電車に乗れたら万々歳だ。

「羽柴先輩、今日もお疲れ様でした。また明日。お先に失礼しますね!」

 私はちょっと駆け足でその場から逃げるように、羽柴先輩を置いてホームへ向かう。
 階段を上り下りしている間に電車が滑り込んでくる。開いたドアに駆け込んでほっと息をつく。反対側のドアに寄って窓の外をみる。
 羽柴先輩の姿はもう見当たらない。逃げるように来てしまって大丈夫だっただろうか、と心配してくれたのに申し訳なくなる。
 ふーっと窓を背にしてもたれ掛る。電車の座席はぽつぽつ空いているけれど、たった二駅。だから立ったまま過ごすことにした。

 町娘は、勘違いなどしてはいけない。羽柴先輩は普通に残業させた後輩に申し訳ないからだろうし、特別な意味合いなんて、きっとない。
 だから、あの時手を握ったことも何か特別な意味があるわけじゃない。きっとそうだ。
 そう言えばドラマ録画できてなかったんだな、と帰っても慰めるものも気持ちを切り替えるものもないのだと思い出して、十時まで開いている店に行って野菜を買うことにした。

「ちょっと作り置きでも作るか」

 ぽそっと呟いた。窓の外、さっきまであんなに近くでキラキラしていた光はもう遠くに行ってしまった。
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