君が好きだと気づくまで
1.彼氏なんて
まだ五月だというのに、既に気温は夏のそれと同じ。汗がシャツに染みて気持ち悪い。電車に揺られながら、私こと細田桃花はイライラする感情を抑えきれずに指が動く。
大学生になったというのに、特になんのイベントもなく二年という月日があっという間に流れてしまった。周りは彼氏持ちが増えて、そっちの経験者も増えて、正直少し焦ってる今日この頃。実は彼氏が一度もいたことがないからなお辛い。
――そしてそれを指摘されるのもうんざり。
友人は彼氏持ちが増え、その幸せを他の人にも教えようと「彼氏つくらないの?」と聞いてくる子までいる。
宗教か。恋愛教なのか。それにつくらないんじゃなくて、つくれないんです。
本人たちに面と向かって言えない言葉を、頭の中で叫ぶ。
べつに彼氏が欲しくない、というのも少しはある。夢見がちという自覚もまぁある。けれどそれ以上に、告白して付き合えることの可能性の低さを私は経験済みだ。さらに言えば告白という勇気の結晶のような行動を笑われ、噂の種にされるなんて嫌なことも経験済み。
小学生のころの話だから時効だろうと言われたこともある。けれど実際はずっと心の隅に居座られて、
「誰がお前なんか好きになるか」
と言われ続けてる気分になる。
落ち込んできた気分をなんとか盛り上げようと、ワイヤレスタイプのイヤホンを取り出し、耳に装着する。
耳に馴染む明るいテンポに、少し楽に息ができる。
そんな、少し気分が上がってきたとき。
お尻に、すっと手が添えられた。
今日に限って薄い生地のスカート。添えられた手の感触が生々しく、ぞっと背筋に冷たいものが走る。
痴漢だ。けど帰宅ラッシュのこの時間帯に声を上げたら、たくさんの人に迷惑がかかる。
どうせあと三駅しかない。その間に痴漢している人が降りるかもしれない。
薄い望みに賭け、私は声を押し殺した。
「ただいま緊急停止ボタンが押され――」
そんな淡い期待はこの放送でたやすく打ち砕かれた。
しばらくこの状態を維持しなきゃいけないのか。そんな事実に、涙がジワリと滲む。
手が動き、肉を揉みだした。
気持ち悪い。気持ち悪いけど誰がやってるかわからない。怖くて振り向けない。
痴漢される子たちはみんなこんな恐怖に陥っているのか。漫画とかで描かれるあの涙も比喩ではないのか。
自分とは縁遠いものと思っていただけに、ショックが大きかった。撫でる手がお尻から離れる気配はない。もう、声を上げるしかないのか。いやでもさっきから悲鳴すら出てこない。出てくるのは吐息と涙だけ。
「何してんすか」
と、もう一つの手がかぶさった。
痴漢が増えたのかと一瞬思ってしまったが、どうやら違うようだ。
「ダメでしょ。これは」
と手がお尻から離れた。
こわごわと後ろを振り返ると、すぐ後ろに中年の見知らぬ男の人が立っていて声にならない悲鳴を上げる。
「ちょっとおじさん、次の駅で降りようか。オネーサンも、ちょっとだけ付き合ってくれる?」
声の主はそう朗らかに笑った。
その笑顔に、私は安堵のため息をこぼした。
大学生になったというのに、特になんのイベントもなく二年という月日があっという間に流れてしまった。周りは彼氏持ちが増えて、そっちの経験者も増えて、正直少し焦ってる今日この頃。実は彼氏が一度もいたことがないからなお辛い。
――そしてそれを指摘されるのもうんざり。
友人は彼氏持ちが増え、その幸せを他の人にも教えようと「彼氏つくらないの?」と聞いてくる子までいる。
宗教か。恋愛教なのか。それにつくらないんじゃなくて、つくれないんです。
本人たちに面と向かって言えない言葉を、頭の中で叫ぶ。
べつに彼氏が欲しくない、というのも少しはある。夢見がちという自覚もまぁある。けれどそれ以上に、告白して付き合えることの可能性の低さを私は経験済みだ。さらに言えば告白という勇気の結晶のような行動を笑われ、噂の種にされるなんて嫌なことも経験済み。
小学生のころの話だから時効だろうと言われたこともある。けれど実際はずっと心の隅に居座られて、
「誰がお前なんか好きになるか」
と言われ続けてる気分になる。
落ち込んできた気分をなんとか盛り上げようと、ワイヤレスタイプのイヤホンを取り出し、耳に装着する。
耳に馴染む明るいテンポに、少し楽に息ができる。
そんな、少し気分が上がってきたとき。
お尻に、すっと手が添えられた。
今日に限って薄い生地のスカート。添えられた手の感触が生々しく、ぞっと背筋に冷たいものが走る。
痴漢だ。けど帰宅ラッシュのこの時間帯に声を上げたら、たくさんの人に迷惑がかかる。
どうせあと三駅しかない。その間に痴漢している人が降りるかもしれない。
薄い望みに賭け、私は声を押し殺した。
「ただいま緊急停止ボタンが押され――」
そんな淡い期待はこの放送でたやすく打ち砕かれた。
しばらくこの状態を維持しなきゃいけないのか。そんな事実に、涙がジワリと滲む。
手が動き、肉を揉みだした。
気持ち悪い。気持ち悪いけど誰がやってるかわからない。怖くて振り向けない。
痴漢される子たちはみんなこんな恐怖に陥っているのか。漫画とかで描かれるあの涙も比喩ではないのか。
自分とは縁遠いものと思っていただけに、ショックが大きかった。撫でる手がお尻から離れる気配はない。もう、声を上げるしかないのか。いやでもさっきから悲鳴すら出てこない。出てくるのは吐息と涙だけ。
「何してんすか」
と、もう一つの手がかぶさった。
痴漢が増えたのかと一瞬思ってしまったが、どうやら違うようだ。
「ダメでしょ。これは」
と手がお尻から離れた。
こわごわと後ろを振り返ると、すぐ後ろに中年の見知らぬ男の人が立っていて声にならない悲鳴を上げる。
「ちょっとおじさん、次の駅で降りようか。オネーサンも、ちょっとだけ付き合ってくれる?」
声の主はそう朗らかに笑った。
その笑顔に、私は安堵のため息をこぼした。
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