すべてが始まる夜に
「部長、飲み物は何がいいですか?」

「どうしたんだ? 急に小さな声で」

「だって、偵察ってバレたら……」

「はっ? 偵察? そんなこと誰も思わねえよ」

部長は可笑しいのか、クスクスと笑いながら私を見る。

「だ、だって私、部長って呼んでるじゃないですか」

「部長って呼んだからって、誰が偵察だって思うんだよ。ただのカップルとしか思わねえよ」

「そ、そうですかね……」

「当たり前だろ。そんなこと誰も思いはしねえよ。そんなに心配なら部長って呼ばなきゃいいだけのことだ」

部長って呼ばなきゃいいって言われても、じゃあ部長のことなんて呼んだらいいの?
松永、さん……?
いや、無理無理、絶対無理だって。

「あ、あの……、何がいいですか?」

松永さん、なんて呼べるわけもなく、窺うように視線を向けながら顔を覗きこむ。

「俺はコーヒーでいいよ」

「フードはどうします? サンドウィッチ? パニーニ? ベーグル? 他にもまだありそうですけど……」

「何でもいいよ」

「わかりました。じゃあ適当に何か買ってきますね」

私は周りで食べているお客さんを見ながら店員さんがいるカウンターに向かうと、美味しそうなメニューを3種類とコーヒーを注文した。

マグカップに入ったコーヒー2つと、注文番号のプレートをトレイに乗せて部長が待っているテーブルへと戻る。

「お待たせしました。フードは5分くらいかかるそうです」

マグカップを部長に渡しながら、私も自分のマグカップを手に取り、コーヒーを口に運んだ。

「ちょっと苦いな。コーヒーはここのよりウチの方が美味しいな」

ひと口飲んでマグカップを置いた私に、ほんとだな──と言いながら部長もマグカップを置いた。
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