すべてが始まる夜に
「もしかして、今日会社に来られてた人が彼女ですか? すごく綺麗な人が来られてましたよね?」

葉子がそう言った途端、「えっ?」と部長が葉子の顔を見た。

「彼女、部長の顔見てすごくうれしそうな顔されてましたもんね。もしかして、あの人がそのネクタイの彼女ですか?」

部長はなんて答えるんだろう。
尋ねてきたのは絶対にあの彼女のはずだ。
もしかして本当に部長に会いに来たのだろうか?
聞きたくないけど知りたいし、知りたくないけど聞きたい。ただ怖くて仕方がない。

私は不安に押しつぶされそうになり、目には涙が浮かんできた。そして誰の顔も見ることができず、視線を落としながら俯いた。

「なんか勘違いしているようだが、今日会社に来てた人間はただの仕事の売り込みだ。彼女でも何でもない」

「彼女じゃないんですか?」

「全く違う。それと宮川ごめん。やっぱり二次会はキャンセルしてもいいか?」

「えっ? キャンセルですか?」

「ああ。俺の彼女が今不安になってるだろうから、すぐに安心させてやりたくてな。茉里、帰るぞ」

そう言うと、部長は私の手を掴み、しっかりと握った。

その瞬間、3人が目をまんまるに見開いて、とっても驚いた顔で私たち2人を見る。

「みんな悪いな。茉里も二次会キャンセルさせてもらうな」

「ま、茉里……。キャンセル……」

葉子は驚いたまま、口元を両手で覆っている。

「悪いな宮川。あとこのネクタイの彼女は茉里だ。じゃあみんな、また月曜日な」

部長は私の手を引くと、そのまま駅に向かって歩き始めた。

「う、うそでしょ……。部長が……松永部長が……、あの掃除機ゆうくん……?」

駅に向かって歩く後ろで、かすかに葉子の呟くような声が聞こえてきた。
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