すべてが始まる夜に
「お疲れさまです」

エレベーターを待っている部長の斜め後ろから顔を覗き込むように声をかける。
すると松永部長がゆっくりと私の方へ振り返った。

「あ、白石か……。お疲れ……」

いつもならみんなが一瞬で魅了されてしまうような笑顔を向けてくれるはずなのに、今日は様子が違ってなんだか辛そうな表情をしている。

「部長、大丈夫ですか? なんか少し顔色がよくないみたいですけど」
「ああ、……ちょっと風邪ひいたみたいでな……」

こうして話すのも辛いのか眉間に皺を寄せ、少し呼吸が荒い。

「なんか大丈夫じゃなさそうですけど、熱はあるんですか?」
「いや、まだ測ってない」
「まだ測ってないって……。いつからなんですか?」
「飛行機の中で急に寒気がしてきたと思ったら……、身体が怠くなってきてな……」
「あ、あの、ちょっ、ちょっと確認させてもらってもいいですか?」

辛そうな表情に思わずすみませんと手を伸ばし、手の甲を部長の頬に当ててみる。

「熱っ。部長、相当熱があるみたいですよ。病院行きます? あっ、でもこの時間だともう開いてないか。えっと薬は? 飛行機の中ってことはまだ薬は飲んでないですよね」
「ああ」
「お家に薬はありますか?」
「多分探せばあったと思うが……」

エレベーターに乗ったものの、部長は壁にもたれるように立っている。

「部長、ほんとに大丈夫ですか? 私、10階まで荷物持って行きましょうか? 鍵開けれます?」

ああ、と頷いてはいるけれど、大丈夫と尋ねたことに対して頷いているのか、それとも10階まで行くことに対して頷いているのかはわからない。
ただ部長の顔は、先ほどの辛そうな表情から険しい表情に変わっている。私は心配で10階まで一緒に行くことした。
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