極上御曹司は懐妊秘書を娶りたい
 ぶおん、と低い音を立てるドライヤーを掲げて、景光さんが言う。
「熱くないか?」
「熱くないです」
「……何だって? なんて言った?」
「熱くないです!」
 熱風の音に負けないように声を張り上げれば、ようやく言葉が届いたのか、止まっていた手が緩やかに動き始めた。しゃらしゃらとこそばゆい音を立てて、優しく髪が掻き混ぜられる感触。どこまでも優しく、労わりと気遣いに満ちた手つきは、丁寧すぎて居たたまれないほどだ。
「あの……景光さん、もう少し強くやっていただいて大丈夫ですから」
「ん?」
「だから、もう少し強く……」
「痛かったか? 悪い……」
「もう少し強くやっていただいて大丈夫です!」
 何回やるんだろう、このやり取り。疲れるけれど、嫌でもなければちょっぴり楽しくて、どきどきするのが困る。私はつい溢れてしまった笑みを何とか引っ込めて、彼が髪を乾かしやすいように、改めて背筋を伸ばした。
 一ヶ月限定の住み込みハウスキーパー生活が始まって、今日で一週間が経つ。景光さんに必要最低限の荷物を運びこんでもらい、何とか生活が安定してきたところだった。彼が予言していた通り、生活のスタイルは今までとあまり変わりなく、出勤がなくなったおかげで自分の好きなことをする時間も増えている。家事も料理以外のほとんどを免除されてしまって、これでお金をもらっているのが申し訳なくなるぐらいだ。
 その分、朝食とお弁当も作るようにはしているけれど、休日は『せっかくだから』と押し切られて、景光さんに作ってもらうことも多い。これじゃあ、どちらが世話されている側だか分からなくなってしまいそう、――――そんなことを考えていると、かちりという音と共に温風が止んだ。
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