sugar spot



「…ずっと、考えてくださってたんですか。」

「え?」

「こんな提案書まで、また用意していただいて。」

大変だったでしょう、と弱りきった微笑みを向けられて、ただ労われただけなのに涙が出そうな自分に気づく。

「いえ。」と否定の2文字と共に首を横に振る動作をするだけで精一杯だった。


「梨木さんに、僕は随分酷いことを言いましたね。」

「…、」

「"オフィスをつくる意味、あるのか"なんて。

梨木さんが心を痛めるだろうなって分かってて言ったんですよ。僕自身も、上から散々言われてるんだから。そのくらい言わせろってあの時、確かに思いました。」

「…はい。」

「最低ですね。
自分が痛い分、相手を痛めつけても良いなんて考えは、弱い証拠です。」


そんなことないです、と呟いてまた首を横に振ると、笑った敷波さんは「困りました。」と告げた。


「あんなことがあって、一度、この件は白紙に戻していただくべきじゃ無いかなと思いました。

梨木さんからご連絡があった時、もしかしたら真面目な貴女は、僕の以前の問いかけに、何かしらの答えを出して、持ってくるのかもしれないと考えましたが、それもお断りしようと。

…まさか、答えはまだ無いけど信じてくれと、言われるとは。」


『…私達を信じて、
"これから"に投資してくださいませんか。』


「……す、すいません。」

「いえ。取り繕った答えを提示されるより、響いてしまいました。困りました。」
  

クライアントを困らせている時点で、
もう駄目なのでは。

笑おうとしても情けなく顔が暗くなっていく私に気付いたのか、敷波さんが私の名前を呼んだ。

恐る恐るデスクに落としていた視線を上げると、柔らかな笑顔の彼と対峙した。


「…もうここまできたら言いますが、僕は正直、オフィスリニューアルの話が出た時から、”厄介を押し付けられたなあ”って思ってたんですよ。」

「…はい。」

「上司は気まぐれにいつも意見が変わるし、色んな部署とやり取りして進めなきゃいけないオフィスのリニューアルなんて、どんだけ大変なんだって。」


オフィスを新しくする時。

私たちが大変なように、当然、それを受ける側だって大変なのだと分かっていたようで、分かっていなかった。


「でも途中からね。
南雲さんが完成のイメージ図を示してくださったらワクワクもしましたし、梨木さんが頑張ってくれた椅子が出来上がったら、嬉しくて。」

「ほ、ほんとですか?」

「はい。だってあの椅子、
めちゃくちゃ良くないですか?」

「はい。めちゃくちゃ良い椅子です。 
あの座り心地は、どの家庭の椅子にも負けません。」

敷波さんらしくない"めちゃくちゃ"なんて褒め言葉に笑いながら繰り返したら、彼もまた、楽しそうに笑う。


「僕は、やるべきことを落としていたと思います。」

「…やるべきこと?」

「リニューアルします、ってお知らせは何度もこのオフィス内でしてたんですけど、苦い顔をする人も多くて。
なんで分かってくれないんだって、自分の中で意固地になる前に、"こんなに素敵になるんだ"って、もっと、色んなことを具体的に発信するべきでした。」


オフィスを使うのは僕だけじゃないですもんね。


そう私に伝えてくれる彼の言葉に、今度は何度も縦に頷いた。

「フリーアドレスを導入したバージョンで、もう一度、見積もりと提案書をまとめていただけませんか。」

「……え、」

「どうなるかは分かりませんが、
それを持って、僕は上長へ
プレゼンの場を設けようと思います。」


ちょっと怖いですけどね、と頼りなく笑ってくれる敷波さんに、直ぐ言葉が出なかった。



どうしても頑張らないといけない局面なんか、
誰にでもあるのだと思う。

怖さがあっても、嫌だなあって思っても。

たった1人、拙い足取りで、よろけたってなんだって、なんとか踏み出さないといけない、そういう局面。

それは、社内の人間だけの話じゃなかった。

クライアントだって、そうだ。



「…資料の提供等、いくらでも、ご協力します。
修正や気になる箇所も、いつでもご連絡ください。」

「本当に遠慮なく言いますよ。」

「はい。覚悟しておきます。」


お互い、まだまだ課題は多いと分かっているから心からの笑顔だとは言えないけど。

なんとか笑って、耐え抜いていきましょうねと、お互いに言い合える人は、とても大切だ。


「…梨木さん、前に言ってくださいましたね。

"健康なオフィスにしましょうね"って。」



初めて此処に来た時、どこか閉鎖的な空間の中で、会話も活発とは言えなくて、椅子の座り心地がよく無いのか、肩や首をしきりに回したり、腰痛クッションを持参している人も見かけた。


「はい。今もそう思ってます。
身体もそうですが、心も、明るくなれる、そういう場所にしたいです。」

ゆっくりと告げると、目の前の彼の目元が柔らかくほぐれていった。

「ビジネスが絡む以上、馴れ合いばかりというわけにもいかないですが。
でも、梨木さんが僕に"リニューアルして良かったですよね?"って言ってくださる時は。

僕も梨木さんに、"貴女にお願いして良かったです"って、お伝えしたいですね。」

「……、」

”梨木と"仕事してよかったって向こうに言わせてやるんだって、それくらいの気持ちで、なんの不足も無いよ。


まだ、予告として言われただけなのに、
嬉しくて、殆ど涙が出そうになったから。


___多分その気持ちを信じて、走っていける。

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