sugar spot
そこから、約1時間半が経って。
ドリンクのラストオーダーも終わったし、そろそろお開きに向かう時刻が迫っている。
「梨木!」
お手洗いを終えて、また自分たちの座敷に戻ろうとしていた長い廊下で、同期の男に声をかけられた。
「あ、長濱。お会計?みんなの集金終わった?」
「今終わった。」
「労われる筈なのに幹事もさせてて、ごめん。」
でもそういうところが、この男らしいとも言える。
笑いながら伝えたけど、何も反応が無くて、いつも古淵さんと同じくらいにはうるさい男がつくる沈黙に、疑問を抱く。
「どうしたの」と聞こうとしたら、アルコールで顔を赤くした長濱がじっとこちらを見つめていた。
「梨木!!!」
そして息をたっぷり吸い込んで、
大きな声を吐き出してくる。
「!?なに、びっくりした…、」
「梨木、もう彼氏とか、いる?」
「……は?」
何の脈略も無い質問に、ただ間抜けな顔になる。
「え、なんの話?」
「え、出来た!?」
語気が強くて、息が荒い。
その気迫に押し負けて、一歩下がったら長濱は一歩また近づいてくる。
「…いや、できてないけど、」
なんだか、この流れは、嫌な予感がする。
この男は明らかに酔っているからどこまで本気なのか全く分からないし、こういうノリなのかもしれない。
でも、距離を詰められていることは、お酒の入っていない頭だからこそ、すぐに悟った。
「長濱、何で近づいてくるの!?」
「俺を労る会に来てくれたってことは、
俺を労る気持ちがちょっとはある?」
言葉がダブっていて、とても分かりにくい。
でも、労る気持ちは、ある。それは勿論あるけど。
廊下はそんなに広くは無い。
障子で間仕切りされた各個室からは、絶えず楽しそうな声が聞こえていて、今のこの謎の空気とは一線を画してしまっている。
ただひたすら後ろ歩きをして距離を保とうとする私と、それを追うようににじり寄ってくる長濱は、側から見たら滑稽なんだろうと思う。
「梨木、なんで逃げる?!」
「なんか、圧が怖い…!」
「圧というか熱意な!?」
「あんた酔ってるよね?」
「正直酔ってる!!」
「、ちょっととりあえず近づいてくるのやめて、」
「___お、俺は梨木とデートしたい!」
「っ、」
ぽんぽんと交わしていた会話の最後で、やけにストレートに投げ込まれて、足が止まってしまいそうになった。
驚いて見つめたら、長濱もこちらを当然見ている。
"デートをしたい"
その言葉がすとんと、心に落ちていく。
私、ずっと。
『…写真展って、今月末の?』
『…そう、だけど…表参道であるやつ。』
『それ、もう前売り買った。』
『え!?』
あの会話をした時から、ずっと。
ただあの男と、話ができたら嬉しかった。
バンドにまつわる場所の聖地巡礼がどうとか、
そんな言葉で、いつだって隠してきたけど。
一緒に出かけられる理由が、欲しかった。
「長濱。」
「はい。」
「…ごめん、私、彼氏はいないけど。
自分が何かを頑張った後に会いたいとか、
中華屋でデート、したいなって、思う人は居る。」
____私は、その気持ちを、
あの男以外には抱かない。
アルコールを摂取したのだと誰かを騙せてしまうくらいには顔が赤い自覚がある。
そうして、自分の正直過ぎる本音を告げ終えた時、
「…ちゅ、中華屋…?」
と、私の話を汲み取れていない長濱に思わず苦笑していると、後ろからふわりと、何かに包まれる感覚があって。
「____それ、俺に言えよ。」
同時に、とても不機嫌そうな声が直ぐ傍で聞こえた。