ここではないどこか

 そそくさと退散した河島を見送り、透を見上げると、そこには軽蔑を多分に含んだ眼差しがあった。ヒュッと息を飲む。酔いは完璧に覚めていた。

「はぁ……なにしてんの、ほんと。瑞樹は?」

 呆れている。深いため息に責め立てられた心地になって、さらに肩身を狭くした。

「瑞樹くんは家……かな?」

 軽率に愛想笑いをすることもできないほど張り詰めた空気が流れている。

「とりあえず、荷物持ってきたら?俺、友達何人かと来てるから挨拶してくるわ。出入り口で待ってて」
「え……?」

 それは家まで送り届けてあげると言っているように聞こえる。

「いや、悪いからいいよ。一人で帰れる……」

 そう言った私に対して向けられた透の目は、一層険しく厳しいものになった。

「酔って、迫られて、あんな醜態晒してた人に断る権限があるとでも?」
「……ごもっともです……」

 ぐうの音も出ないとはまさにこの事だな、と私は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。

 先ほどまで楽しく飲んでいた部屋に戻り、峯田さんに「気分悪くなってきたから帰るね」と耳打ちをする。「大丈夫ですか?」という心配そうな顔に笑みを返し、これだけあればお釣りがくるだろう程のお金を峯田さんに預けた。
 全員に向かって、「ありがとうございました」と挨拶をし部屋を出る。河島の顔は最後まで見なかった。あちらも消し去りたい思い出になったことだろう。

 透に指定された場所で待ちながら、瑞樹くんに連絡を入れた方がいいか、という考えに至る。メッセージアプリを開き"今から帰るね"と打った。
 透に送ってもらうことは打たずに、帰ってから直接伝えようと思った。そこまでに至る経緯を上手く誤魔化しながら文章に落とし込めるほど頭が冴えていなかった。
 送ったメッセージに既読マークがついた途端、「お待たせ」という声と共に透が現れた。透はタクシーを手配してくれたようで、道路に出てすぐに乗り込む。なんだか大人になったなぁ、となんとも言えない気持ちを抱いたまま窓の外を見ている透の後頭部を見つめた。

「で、合コンでもしてた?」

 透はこちらを見ずに言葉を投げかけた。

「まぁ……そうです。もちろん瑞樹くんにはきちんと言ってるから!断れなくて……」

 言いながら自分自身が情けなくなってきた。

「相変わらずだね」

 もう完全に嫌われてるなぁ、ということが言動から伝わってきて、苦しい。奥歯を噛み締めてこぼれ落ちそうになる涙をぐっと堪えた。
 怪我の功名というのだろうか。無理矢理キスされそうになったと言えば、峯田さんからの合コンの誘いはなくなるだろう。そんなことを手に入れるために私は何を失ったのだろう。
 誰を傷つけたのだろう。
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