Diary ~あなたに会いたい~
 「妻は精神を病んでいたんです。後になって
知ったのですが、妻の鞄から安定剤が見つかり
ました。でも、それ以上のことは私にも何も
わかりません。あの夜、何があったのか、どう
して、二人が死ななければならなかったのか……
私には、本当に、何にもわからないんです」

 コツコツと、遠くから足音が聴こえて僕たち
は言葉を止めた。何となく、誰かにこの話を
聞かれては不味いような、そんな気がしてなら
なかった。

 どんなやり取りがあったにせよ、義母に首を
絞められた弓月は被害者の立場のはずで……
 それでも、二人の転落死に弓月が関与して
いないと、誰も断言できない。
 そんな真実は、想像するのも恐ろしいけど……

 「結局、真相は彼女の闇のなか、というこ
とか」

 永倉恭介が頬杖をつき、遠ざかっていく足音に
耳を傾けながら言った。僕は何げなく窓の外に
目を向ける。すっかり、陽の落ちた西の空には、
まっ黒な雲が広がっていた。

 「こんなこと……父親の私が言うのも何です
が、弓月がこうなって……辛いことを全部忘れ
てくれているのは、それはそれで幸せなことだ
と、思っているんです。もし、覚えていたら、
この病気になっていなかったら、あの子はもっ
と、苦しむことになっていたかも知れない。
妻や弓弦には申し訳ないですが、真実がわかっ
たところで、二人が生き返るわけでもありませ
んしね」

 父親は僕たちに同意を求めるように、微笑を
向けた。



-----微笑を、向けた。



 その瞬間、僕の中で何かが弾けた。
 
 この人は……この人のせいで、弓月がこんな
ことになってしまったのに、なのに、それを
“幸せなこと”だと、言っている。

 人が、家族が、二人も死んでいるのに、真実
など要らないと、笑って……!!

 ガタ、と大きな音を立てて椅子がひっくり
返った。立ち上がって、僕は目の前に座る父親
の胸ぐらを掴んだ。身体に触れた紙コップが
倒れ、テーブルにコーヒーが広がる。

 「あなたはっ……いったい何をしてたんだ!!
弓月がこんなことになるまで!!家族がこんな
目にあってるのに、幸せなわけないでしょう!?」

 父親が青ざめた顔をして、僕を見上げている。

 こんな風に、誰かに怒りをぶつけるのは生まれ
て初めてで、キッ、と睨みつけた父親の顔が歪ん
で見えても、泪がそうさせているのだと気付く
余裕もなかった。
 不意に、強い力が僕の腕を掴んで父親から
剥がしとった。

 「よせって!!ここは病院だぞ!!」

 永倉恭介の声とともに引き剥がされた身体が
よろける。僕は倒れた椅子に足を取られて、
その場に尻もちをついた。
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