Diary ~あなたに会いたい~
 「スケッチの切れ端にでも品番を控えておい
てくれれば、次の休みに俺が買っておくよ。
まるごと新しいセットを買っても構わないけ
ど、使ってない色も結構あるみたいだし……
必要な色だけ買い足した方がいいだろう?」

 「それはそうだけど……いいの?せっかくの
休日に」

 「別に、それくらい大した用じゃないさ。
でも、ゆづると休日を過ごせるなら、もっと
他に行きたい場所はあるかな。文具屋めぐり
の後にね」

 にぃ、と頬杖をつきながら顔を覗く。

 いつも決まって、陽が昇ると彼女は帰ってし
まう。きっと今日も、夜が明ければ帰ってしま
うのだろう。
 
 まるで陽の光に溶けるように、俺の腕の中から
消えてしまう彼女を、出来ることならずっと
捉まえておきたかった。

 月明かりの下でしか見たことのない
その表情は、髪の色は、瞳の影は、陽の下で
どう変わるだろう?

 想像するだけでまた、愛しさが増していく。
 
 けれど、彼女は少し辛そうにかぶりを振った。

「それは無理ね、残念だけど。昼間はわたし、
眠っているから。それに、昼も夜もあなたを
独占したりしたら、他の人に恨まれるわ。
いるんでしょう?私の他にも休日を過ごせる
相手が」

 彼女が探るような眼差しを向ける。



-----嫉妬、しているのだろうか?



 もしそうなら、たった今、デートの誘いを
断られたという事実を忘れてしまうほどに、
嬉しかった。
 
 だからといって、彼女の嫉妬を煽るために
“ほんとうのこと”を言う訳にはいかない。
 
 もちろん、頭を過ぎったのは尚美の顔だ。

 彼女に対する気持ちは、ゆづるに向ける
それとはまったく違っても、説明は難しかった。

 だから俺は、小さな嘘を含んだ、真実を話した。
 
 「いないよ、そんな相手。ひとりもね。いま、
俺が会ってる女はゆづるだけだし、会えないなら
適当にひとりで過ごすさ。それにしても、会えな
い理由が昼寝か。それはそれで複雑だな」

 頬杖をついたまま、肩を竦めて見せる。
 彼女は「ふうん」と、不思議そうに首を傾げた。
 納得したような、していないような顔だ。

 「ほら、早く描かないと月が沈むぞ」

 コンコン、と冷たいガラス窓を突いて、俺は
ゆづるの手を促した。

 まだ暗い空のてっぺんに浮かぶ弓月は、明るい
光を放って夜明けを待っている。
 あと1時間もすれば、陽の光に散らされて月の色
も霞むだろう。
 彼女は「大丈夫よ」と呟くと、手を動かしなが
ら言葉を続けた。

 「もうほとんど描き終わってるの。あとは、
あなたの影を描きこむだけ。月が消える前にね」

 細い指がさらさらと動いて、現実の俺を画の
中の住人に変えてゆく。

 俺はその音にじっと耳を澄ませながら、重い瞼
をゆっくりと閉じた。

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