腹黒天才ドクターは私の身体を隅々まで知っている。
鷹峯さんが両手を上にしてお手上げポーズでおどける。しかし相手は強気に出たら勝てると思っているのか、一歩も引く様子はない。それどころか腕まくりをして、拳を振り上げながら近付いてくる。

「た、鷹峯さん……やばいですよ、逃げましょうっ……」

私は後ろから鷹峯さんの袖を引っ張る。しかし鷹峯さんは振り向いて少し笑うと、また視線を男に戻してしまう。

「あはは、困りましたねぇ」

「全然困ってるように見えませんけどっ……!?」

男が走る。拳に力を込めたのが分かった。

振り下ろされる。

「鷹峯さんっ……!!」

鷹峯さんが動いた。男の拳をひらりと(かわ)す。

「だぁかぁらぁ……言ってるじゃないですかぁ? 暴力的な解決は得意ではないと」

「うぐっ……!?」

ドスッ、と鈍い音がして、鷹峯さんの右拳が男の土手(どて)(ぱら)にめり込んだ。

「私、如何(いかん)せん手加減が出来ないもので……って、聞いてますかぁ?」

おちょくるような声音で、左手を口元に添えてそう(のたま)う鷹峯さん。先程とは違い、男は完全に伸びきっていた。痙攣しながら白目を向く男は、しばらく起き上がれそうにない。

私は膝から力が抜けて思わず床にへたり込む。

「こ、怖かった……」

そんな感想しか出てこなくなるくらい、物凄く怖かった。鷹峯さんが私に近付く。

「全く……そんな汚いところに座りこまないでくれません? 家から締め出しますよ」

「た、たか、鷹峯、さっ……」

恐怖で歯の根が合わない。両目からはボロボロと涙が溢れ、私は(すが)るように両手を鷹峯さんに伸ばした。鷹峯さんは笑いながら、私の手を引っ張って起こしてくれた。

「すみません、気付くのが遅くなって……怖い思いをさせてしまいました」

立ち上がった勢いで、私は鷹峯さんの胸の中に飛び込む。そのまま腕の中に閉じ込められた。

「うぅっ……」

「もう大丈夫ですよ」
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