可愛すぎてつらい

16.やっぱり可愛すぎる(14.15話のフレッド視点)

 長く拗らせたフレッドの初恋は、年を追うごとに捻じれて複雑に絡まってしまった。

 馬車の向いに座るチェルシーをやっぱり結局盗み見て、こっそりと溜め息をつく。

 キャラメルブロンドの緩やかにカールをした髪は、背中の真ん中あたりまでの長さがあり、幼少のころとは変わらない。丸みを帯びていた頬はスッキリとしたが、滑らかさは今も健在で、夜に密かに撫でているのをチェルシーは知らないだろう。深いエメラルドグリーンの大きな瞳を細めて笑う顔が堪らなく好きだ。

 幼い時も今も、あまりにも可愛くて愛らしくて、端的に言って天使で女神で。見た目だけでなく、無邪気で素直な性格もとても素敵なチェルシー。好ましいところを数え上げたらキリがない。
 フレッドは神様よりも、この世に誕生させてくれた彼女の両親に感謝をしている。

 それなのに気の利いた言葉のひとつも出せない自分を何度呪っただろう。

 結婚した当初は話しかけてくれたチェルシーだったが、それに上手く返すこともできず、己の話術の無さを痛感した。いっそ下手に話しては不愉快な思いをさせる結果になるだろうと、少し距離を置いたのがいけなかったのだろうか。その内にチェルシーはあまり話しかけてはくれなくなった。しかしどうすることも出来ず。

 母にはいつか愛想をつかされるだの、間男に奪われるだの脅されたが、そうなったとしても決して離すつもりはない。居もしない男の存在を想像しただけで黒々とした感情が渦巻き、周りが怯える結果となってしまうので考えないことにしている。
 例えフレッドが上手く関われなくとも、屋敷で楽しそうに過ごしているし(もちろん不自由させるわけもないが)、母や使用人にも笑顔を見せている。それを見ているだけで良かった。

 ——それなのにまさか自ら忘れ物を届けてくれたなんて。しかもそれに留まらず、こうして二人きり馬車に乗って出かけることを了承するなんて。最近のチェルシーは明らかにフレッドと向き合おうとしてくれている。全くもって理由は分からないが。

 彼女のなかで一体どんな変化があったのだろう。自分が特別彼女にしてあげたことはなかったはずだ。

 フレッドは距離感を測りかねていた。しかし本当はもっと近付きたい、名を呼んで微笑んで欲しいと欲が出てしまう。

 そう思っているにも関わらず、フレッドが嫌ならば寝室を別に、と言いかけたチェルシーに思わず立ち上がってしまった。

 毎日の楽しみが!

 チェルシーの寝顔を見れば一日の疲れが吹っ飛び、飽くことなく見つめてそのまま眠りに落ちる。それは大切なルーティンで。
 たまに我慢に我慢を重ねて限界が来たときに、チェルシーが起きているときを見計らって抱く。壊してしまわないよう、嫌われないよう理性をフル動員させて最小限にしているけれど。それでもそれが出来るのは枕を共にしているからであって。

 基本なんでもチェルシーの好きにさせてあげたいが、それだけは譲れなかった。

「チェルシーがどうしても嫌だというなら仕方がないが、そうでないならどうか寝室はそのままで……。確かに他人と触れ合うのは苦手だが、君だけは特別だから」

 フレッドを慮ったような言い方をしたのをいいことに、つけ入るように畳みかけた。実際は遠回しの拒絶だったのかもしれないが。
 結果コクコクと首を縦に振ってくれたので、寝室問題は納得してくれたのだろうか。何度言われてもこれだけは我慢してもらうしかない。

 それからチェルシーは、暫しフレッドをジッと見つめると唐突に幼き日のことを口にした。

「フレッド様と私は幼い頃に出会っていたのですね。覚えていなくて……すみません」

 エメラルドグリーンに映る自分は縋っているような表情で(間違いではないが)、気付かれないように表情を引き締めた。

 彼女が忘れていたことなんて大したことではない。フレッドだってチェルシーと出会う前の記憶なんて曖昧だ。誰と会っていたかなんてちっとも覚えていないのだから。

「あの、私の書いた手紙、大切に取っておいてくださって嬉しかったです」

 それよりもモジモジしているチェルシーはとても可愛らしくて、表情を引き締めておかなければ緩んでしまいそうになる。そんな愛しい彼女からの大切な手紙を、栞代わりには使っていると思われては失礼にあたると、慌てて弁明した。チェルシーからもらったものは当然ながら宝物だ。分かってもらえてホッとしたのも束の間、いい香りがしたと思った瞬間、温かくて柔らかい重さに思わず尻もちをついてしまった。

 なんと、チェルシーが抱きついていた。
 一瞬理解できずに頭が真っ白になってしまう。もしかしたら、いつの間にか天国に召されてしまったのか?それならばチェルシーだけでも助けてやってほしいと神に祈らねば。いや、チェルシーだけにしてはいつ悪い虫が付くやも知れぬ。
 ならばいっそ……。

「フレッド様ぁ……」

 甘えた声にフレッドの腰がズクリと重くなる。
 どうやらこれは現実だったらしい。

 いやいや、こんな場所でそんなところを固くしていては嫌われてしまう。脳内でキースやグレン団長の顔を思い出して耐えようとしたが、潤んだ瞳のチェルシーと目が合い身体が勝手に動いていた。

 頭の奥では理性が叫んでいる。こんな場所でチェルシーを蹂躙するつもりかと。しかし抗えない本能で以て、唇を貪った。
 時おり漏れる吐息すら甘い。チェルシーも拙いながらも舌を絡めてくれている。一体どうしてしまったのだろう!

(無理だ、いっそこのまま。いや、今すぐ屋敷に帰って……でも!ああ、チェルシー!)

 フレッドは名残惜し気に唇を離す。
 今までの人生で一番、フレッドは断腸の想いというものを痛感した。このまま欲をぶつけて良いわけがない。チェルシーは買い物を楽しみにしているようだから、絶対に叶えてあげたかった。それに間もなく商店街に到着してしまう。

「……これ以上は我慢が出来なくなってしまう」

 それでも離れ難くて、彼女を抱き締める。
 予想通り直後に馬車は停車し、自分の決断は間違っていなかったと確信した。

「……さぁ、行こう。チェルシーが行きたいところへ」
「はい!私、楽しみです」

 本当にあのまま押し倒さなくてよかった。チェルシーがフレッドに向かって満面の笑みを見せてくれたのだから。誰かに向けた笑顔を見てはいたが、いざ自分に向けられるとその衝撃たるや。フレッドは多分その瞬間息が止まった。あまりにも可愛すぎて。

 そしてゆっくりと息を吐く。その時に自然と「可愛すぎる……」と口に出してしまっていたが、チェルシーはもちろん本人すら気付いていなかった。

 以前、使用人に向けた笑顔が可愛すぎて、やり場のない思いを紙に書きなぐったのとは訳が違う。脳内が大暴れしているフレッドだが、颯爽と馬車を降り、チェルシーの手を取った。
 脳内と行動の乖離はすでに慣れっこなのである。
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