初老アイドルが一般人女子との恋を成就させるまで
落ち込む気持ちを抱えたまま、茜は帰路に就いた。
帰宅し、荷物を置いてスマホを見ると、航太からのメールが来ているという通知が浮かんでいる。
先程まで感じていたもやもやのせいか、一瞬、メールを開くことを躊躇したが、それはそっと胸の奥にしまってメールを開いた。
『今日夜、電話してもいい?』
たった一文のメールだけど、ただそれだけで茜の口端は自然と上がる。
『大丈夫です!』
そう打って返信すると、すぐに画面に航太からの着信を告げる表示が出ると同時に、スマホが震え始める。
半ば反射的に、茜は電話を取った。
「もしもし?」
「もしもし、久しぶり」
「久しぶりです」
スマホ越しに聞こえてくる航太の声に、茜は少しのドキドキと安堵感を覚える。
「新年度はどうですか?茜先生」
「やっと落ち着いてきましたよー。今日やっと部活にも行けましたし」
「そっか」
「航太さんはお仕事どうですか?」
と、急に航太の声が返ってこなくなる。
電波の調子が悪いのかと茜は思い、再度スマホ越しに呼びかける。
「航太さ」
「茜」
突然、クリアに聞こえてきた航太の声に、茜の心臓は大きく動いた。
「……はい?」
「俺の名前、もっかい呼んで?」
「航太さん?」
「もう1回」
「え?」
「もう1回」
一瞬、茜は航太が何を言っているのか分からなかったが、すぐに彼の意図に気づいた。
だけど、今だそれを口にするには少し勇気がいる。
茜は一度深呼吸をしてから、ゆっくり口を開いた。
「……コウ……君」
「よくできました」
航太と付き合うようになってからすぐの頃、航太から申し出があった。
呼び捨てで呼んでもよいか、と。
茜は嬉しくて二つ返事でOKしたのだが、その代わりに、と航太が提案してきたのが、自分も呼び捨てで呼ぶことだった。
いくら恋人同士になったといっても、そもそも茜からしたら航太は年上で、出会ってまだ1年も経っていない。
そんな人をいきなり呼び捨てで呼ぶということは、茜からしたらかなり憚られた。
そのため、必死に説得して『コウ君』と呼ぶことに落ち着いたのだ。
しかし、そうは言ってもまだまだそう呼ぶことは慣れず、つい『航太さん』と呼んでしまうのだった。
「そんなに恥ずかしい?『コウ君』って呼ぶの」
「いや普通に照れますって……」
ははっと笑う声が茜に届いて、それが更に茜を照れさせる。
その時、ふと昼間によっちゃんとまーが話していたことが茜の脳裏によみがえる。
『リーダーもあんまないよね、熱愛報道』
『うん、ここ最近ない。前に出たのが、うちらが中学の時だから……、4~5年前?くらい』
『あ、思い出した。モデルのRisaとだ』
『そうそう。でも、もう別れたよね。それにRisa、他の人と結婚したし』
今、スマホの向こう側にいる人は、本来なら別の世界に生きる人。
自分なんかが一緒にいることも、ましてや付き合うことすら有り得ない人だ。
きっと、彼の生きる世界では、自分なんかは到底及ばないような素敵な人がたくさんいて、そんな人たちと一緒にいることが当たり前のはずだ。
今の自分は果たして、彼の隣にいていい人間なのだろうか。
本当は、彼の隣にいるべきではないのだろうか。
「茜?」
自分の思考の海に沈んでいた茜は、航太の呼びかけに我に返る。
「あ、はい、何でしょうか?」
「いや大丈夫? 今全然反応返ってこなかったけど」
「すみません、ちょっとぼーっとしました」
「ごめん、疲れてるよね」
「いえっ、大丈夫ですよ!」
「明日も仕事……だよね?」
「はい、そうです」
「じゃあもうゆっくり休んだ方がいいよ。って、電話しようって言った俺が言うのもあれなんだけど。……でも」
「え?」
「なんか声聞きたいなーって思っちゃってさ」
航太のその一言に、茜は心がぎゅっと抱きしめられたような感覚を覚える。
そんな風に航太が思ってくれることは、やはりうれしい。
「ありがとうございます。……嬉しいです」
と、航太からの返答が途切れて、茜は少し不安になる。
「コウ君?」
「……あ、ごめん」
「コウ君も、ゆっくり休んでください」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、また」
「またね。おやすみ」
「おやすみなさい」
2人はそう言って、互いに通話終了ボタンを押した。
スマホをリビングのテーブルに置いた航太は、一つため息をつく。
それは、胸の中に生じた暖かい気持ちがため息という形で現れたのだ。
先程、茜から言われた「嬉しいです」という言葉が、航太の中で再生される。
ただそれだけで、航太の頬は緩んでいく。
まるで十代のような自身の反応に、航太はどこか気恥ずかしさも感じたが、それ以上に茜への愛おしさが募った。
一方、茜もまた、スマホをローテーブルに置いて、ため息を一つついた。
でもそれは、航太とは違う、胸の中の重苦しい気持ちが外に出たものだった。
彼女の頭の中には、依然としてあの疑問が渦巻いている。
『自分は、彼の隣にいていい人間なのだろうか』、と。
答えの出ないこの問いに茜は目をつぶり、明日の準備をするために立ち上がった。
帰宅し、荷物を置いてスマホを見ると、航太からのメールが来ているという通知が浮かんでいる。
先程まで感じていたもやもやのせいか、一瞬、メールを開くことを躊躇したが、それはそっと胸の奥にしまってメールを開いた。
『今日夜、電話してもいい?』
たった一文のメールだけど、ただそれだけで茜の口端は自然と上がる。
『大丈夫です!』
そう打って返信すると、すぐに画面に航太からの着信を告げる表示が出ると同時に、スマホが震え始める。
半ば反射的に、茜は電話を取った。
「もしもし?」
「もしもし、久しぶり」
「久しぶりです」
スマホ越しに聞こえてくる航太の声に、茜は少しのドキドキと安堵感を覚える。
「新年度はどうですか?茜先生」
「やっと落ち着いてきましたよー。今日やっと部活にも行けましたし」
「そっか」
「航太さんはお仕事どうですか?」
と、急に航太の声が返ってこなくなる。
電波の調子が悪いのかと茜は思い、再度スマホ越しに呼びかける。
「航太さ」
「茜」
突然、クリアに聞こえてきた航太の声に、茜の心臓は大きく動いた。
「……はい?」
「俺の名前、もっかい呼んで?」
「航太さん?」
「もう1回」
「え?」
「もう1回」
一瞬、茜は航太が何を言っているのか分からなかったが、すぐに彼の意図に気づいた。
だけど、今だそれを口にするには少し勇気がいる。
茜は一度深呼吸をしてから、ゆっくり口を開いた。
「……コウ……君」
「よくできました」
航太と付き合うようになってからすぐの頃、航太から申し出があった。
呼び捨てで呼んでもよいか、と。
茜は嬉しくて二つ返事でOKしたのだが、その代わりに、と航太が提案してきたのが、自分も呼び捨てで呼ぶことだった。
いくら恋人同士になったといっても、そもそも茜からしたら航太は年上で、出会ってまだ1年も経っていない。
そんな人をいきなり呼び捨てで呼ぶということは、茜からしたらかなり憚られた。
そのため、必死に説得して『コウ君』と呼ぶことに落ち着いたのだ。
しかし、そうは言ってもまだまだそう呼ぶことは慣れず、つい『航太さん』と呼んでしまうのだった。
「そんなに恥ずかしい?『コウ君』って呼ぶの」
「いや普通に照れますって……」
ははっと笑う声が茜に届いて、それが更に茜を照れさせる。
その時、ふと昼間によっちゃんとまーが話していたことが茜の脳裏によみがえる。
『リーダーもあんまないよね、熱愛報道』
『うん、ここ最近ない。前に出たのが、うちらが中学の時だから……、4~5年前?くらい』
『あ、思い出した。モデルのRisaとだ』
『そうそう。でも、もう別れたよね。それにRisa、他の人と結婚したし』
今、スマホの向こう側にいる人は、本来なら別の世界に生きる人。
自分なんかが一緒にいることも、ましてや付き合うことすら有り得ない人だ。
きっと、彼の生きる世界では、自分なんかは到底及ばないような素敵な人がたくさんいて、そんな人たちと一緒にいることが当たり前のはずだ。
今の自分は果たして、彼の隣にいていい人間なのだろうか。
本当は、彼の隣にいるべきではないのだろうか。
「茜?」
自分の思考の海に沈んでいた茜は、航太の呼びかけに我に返る。
「あ、はい、何でしょうか?」
「いや大丈夫? 今全然反応返ってこなかったけど」
「すみません、ちょっとぼーっとしました」
「ごめん、疲れてるよね」
「いえっ、大丈夫ですよ!」
「明日も仕事……だよね?」
「はい、そうです」
「じゃあもうゆっくり休んだ方がいいよ。って、電話しようって言った俺が言うのもあれなんだけど。……でも」
「え?」
「なんか声聞きたいなーって思っちゃってさ」
航太のその一言に、茜は心がぎゅっと抱きしめられたような感覚を覚える。
そんな風に航太が思ってくれることは、やはりうれしい。
「ありがとうございます。……嬉しいです」
と、航太からの返答が途切れて、茜は少し不安になる。
「コウ君?」
「……あ、ごめん」
「コウ君も、ゆっくり休んでください」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、また」
「またね。おやすみ」
「おやすみなさい」
2人はそう言って、互いに通話終了ボタンを押した。
スマホをリビングのテーブルに置いた航太は、一つため息をつく。
それは、胸の中に生じた暖かい気持ちがため息という形で現れたのだ。
先程、茜から言われた「嬉しいです」という言葉が、航太の中で再生される。
ただそれだけで、航太の頬は緩んでいく。
まるで十代のような自身の反応に、航太はどこか気恥ずかしさも感じたが、それ以上に茜への愛おしさが募った。
一方、茜もまた、スマホをローテーブルに置いて、ため息を一つついた。
でもそれは、航太とは違う、胸の中の重苦しい気持ちが外に出たものだった。
彼女の頭の中には、依然としてあの疑問が渦巻いている。
『自分は、彼の隣にいていい人間なのだろうか』、と。
答えの出ないこの問いに茜は目をつぶり、明日の準備をするために立ち上がった。