目覚めたら初恋の人の妻だった。

意識が戻った柚菜は看護師に連れられ検査へ向かう際
俺の方は見ようともしないで,連れて行かれてしまった。
病室に戻って来るのは解っているが、ER室から出てきた時の
ストレッチャーに横たわる柚菜の青ざめた顔が蘇り
亡くしてしまうのでは、と思った気持ちに胸が再度締め付けられ
息苦しくてクラクラし、寄りかかるように窓際に凭れる。

検査に向かった柚菜が居なくなった病室で、窓の外を眺め、
病院だけれど、仲良く歩くカップルを見ると切なく、涙が出そうになる
少し前まで俺達だってああ見えていた筈なのに
今では柚菜に手を払われる有様。

その居た堪れない気持ちを突然の声が現実だと知らしめる

「あら、柚菜は?」
「あ、お義母さん、早かったですね。」
「ええ、着替えるだけにしたから・・・柚菜は?」
「検査に行きました。」
「記憶の方は?」
俺は首を横に振るとお義母さんは
「はぁ~ どうしてこう辛い事ばかり・・・」
お義母さんの言葉に胸が更に痛む。
何を言おうとしているか解るから・・そしてその原因を作ったのは
若かった浅はかな俺だ。

お義母さんはソファーに座り、俺の方をジーっと見つめ、
意を決したように
「一那君、柚菜が退院したら 佐倉家で過ごした方が良いと
主人とも話したわ。」
淡々とまるで夕食の献立の話をしているように口にする。
「え、? 柚菜を佐倉家でですか?」
嫌な汗が背中を伝う・・
「待って下さい。柚菜は俺の妻で、今は柚菜の家は俺達のマンションです。」
「そんなに慌てないで、別に一那君から柚菜を奪うつもりは無いのよ。
ただ、柚菜が失くしている記憶は丁度一那君との事でしょ?
付き合っていた記憶も結婚した記憶も無くて一緒に暮らすのは
柚菜にとっては苦痛に感じない?」

”苦痛” 俺との事を柚菜は苦痛と感じる???
こんなに好きなのに俺と一緒に居ても柚菜は幸せでは無い?って事・・

「でも、記憶を戻すには今までの環境にいたほうがキッカケになると思います。
俺と付き合った記憶も、結婚した事も、一緒に暮らしていた事も
忘れてしまっていても、もしかしたその空間に身を置いたら
思い出せるかもしれないです。
佐倉家で過ごしていたら、新しい事を思い出すキッカケが
無いじゃないですか!」
「でもね、心が学生の時の柚菜ならば幾ら一那君とは言え、男性と一緒に
暮らすって無理だと思わない?それに一那君、仕事で日中居ないでしょ?
その間、柚菜は1人であのマンションで過ごすの?
もし、何かあったら?異変に気がついてあげるのが遅くなって
取り返しのつかない事になったりしたら・・・
私はあんな怖い想いを2度としたくないの」

お義母さんはそっとハンカチで目元を抑えた

自分の事ばかり考えていた・・・柚菜を失ったらと・・
お義母さん達も怖かったんだ・・・自分より先に子供が死ぬなんて
想像だにした事が無かっただろう。
誰もが一番若い柚菜を失うかもしれない現実に恐怖で支配され
ERの前で5人で何も話す事も、慰め合う事も出来なかった。
あの時間が怖かったのは自分だけでは無かった。
でも、でも柚菜の居ないマンションには帰れない・・・
柚菜の居ないベッドでは眠れない。

「何時でも来てくれて良いから・・・」

違う!柚菜はもう俺のだ・・佐倉家の娘だったけれど、今は俺の妻だ。
「お義母さん、お義母さんの心配も解かります。今もこれからも
柚菜は佐倉家の娘である事には変わりませんが、もう、俺の妻なんです。
記憶を失くしても柚菜は加瀬柚菜なんです。」

病室であるまじき声で口にした独占欲。
お義母さんとの距離に緊張が支配し、落としどころをお互いに探り合おうと
した空気をパサっと衣擦れの音が壊す。
振り返ると車椅子に座り、検査を終えた柚菜が居た。
膝から落ちたケープを拾う事も出来ないで、ただでさえ大きな目が
戸惑いと、驚愕を孕み、更に大きくなり、俺達を見つめ
「加瀬 柚菜ってどう言う事???」と振り絞るように声を発する。
こんな風に伝えたかった訳じゃない…驚かせるつもりなんか微塵も無かったのに

「お母さん、どういう事? カズ兄は何言っているの?」
お義母さんは俺の方をチラっと見、少し、諦めた表情をして
「柚菜ちゃん、驚かせるつもりは無かったのよ。柚菜ちゃんがどうしたら
負担や不安を感じないで過ごす事が出来るか考えていたの・・」
「私が聞きたいのはそんな事じゃない・・・可笑しいと思ったの
今も検査に行って名前を名乗ると一様にキョトンとして・・・
カルテを見ると、そのまま何事も無かったような態度を誰もが
取るから・・・それって名前が違っていたって事だよね?」
「柚菜、柚菜は俺の妻なんだ・・・」
「妻???妻って奥さんって事?」
「そう。」
「カズ兄と、け け 結婚したってことなの?」
「そうだ・・だから柚菜は 今は加瀬 柚菜なんだ。」
「いつ? 何時 結婚したの?」
「柚菜が大学を卒業する直前に入籍した。毎年、結婚記念日を
ホテル・ミラベルのフレンチレストランで祝っている。」
「・・ホテル・ミラベル・・・ 私が昔から憧れていたところだよ・・」
「知っている。そこで俺達は結婚式をして・・記念日には
結婚式後に泊まった部屋に宿泊して一緒に祝うのが結婚記念日の過ごし方だよ」
「あそこで結婚式をしたの?」
「そうだよ。柚菜はあそこで結婚式をするのが夢だったからね。」
「どうして私がカズ兄と結婚したの?」

その言葉を柚菜の口からでた途端、俺の中の何かがガラガラと音を立てた。
「どうしてって好き合っていたら結婚するのが当たり前だろう!」
「好き合ってた???私とカズ兄が??」
「そうだ。それ以外に結婚する理由は無いだろう!」
「嘘だ~ 絶対にない!」
「なんで そんなに言い切るんだよ!」
「ない!ない! そんなの天と地がひっくり返っても無い!幾ら私の
記憶が無いからって2人揃ってそんな笑えない冗談止めて!」
「・・・・・」
「柚菜ちゃん、一那君が言っている事は本当よ。貴方は加瀬 柚菜なの」
「私が加瀬 柚菜・・・・」
「そう、だから 柚菜が俺を カズ兄と呼んでない理由が解ったでしょ?」
「      加瀬 柚菜・・どうしてそんな事になっているの??」
そう口にし柚菜の頬をポロポロと涙が伝う。
否定的な柚菜の言葉にズタズタに傷つく心。

「ねぇ?どうして私がカズ兄と結婚したの?」

柚菜、その言葉は俺を完膚なきまでに打ちのめす事に気がついてるか?

「結婚したい相手がお互いだったからに決まっているだろ!」
『愛し合っているからに決まっているだろ!』と言いたかったけれど
お義母さんが居たからオブラートに包む。伝わっただろうか?

「私が結婚・・・・・」

「柚菜、実感が湧かないわよね。だから、お父さんと話して退院後は
佐倉の家で過ごした方が良いと一那君に話していたところなの。」
「お義母さん、それじゃあ、柚菜の記憶が戻るのに時間が掛かるかも
しれないじゃないですか。」
「一那君、私達は柚菜が思い出したくないなら無理に思い出さなくても
良いと思ってるのよ。   辛いから、思い出したくないから忘れたんじゃ
ないかと考えているわ。」

お義母さんの目は俺を責めているみたいだった。
いや、みたいじゃない責めてる・・・
俺と結婚しないで佐倉家で過ごしていたら事故に遭わなかったかもしれない、
それにマンションとも実家とも違う方向に向かっていたのは皆が知っている。
俺との間に何かが有ったのかもと勘ぐっている様な気がする。
前に傷つけているのを知っているから。
でも、今の俺はあの時の浅はかな考えの俺では無い。
柚菜が不安に感じる事は何もしていない・・・・

「お義母さん、さっきも話しましたけれど、俺は反対です。
記憶を失くしても柚菜は今は俺の家族です。」
「だけれど、一那君だっていい加減 出社しないとでしょ?
そうなると日中、柚菜が1人になってしまうのよ。」
「だったら、朝 出勤する時に柚菜を佐倉家に連れて行き(・・)、帰る時に
迎えに行きます。 それだったら日中は一人になりませんよね?」
「・・・でも・・・・」
躊躇するお義母さんに更に畳みかける様に
「お願いします。 俺から柚菜を奪わないで下さい・・・」
なりふり構わず頭を下げるしか自分には残っていない・・ここで手放したら
柚菜は二度と自分の元に戻って来ないような気がしていたから。
お義母さんに向かって頭を下げて、懇願するしかなかった。

「一那君・・・・そんな事していたら貴方の身体が疲れてしまうわよ。」
「良いんです! 柚菜が思い出してくれなくても・・でも、傍に居て
欲しいんです。」
「カズ兄・・・私もそんな事しない方が良いと思う。毎日 遅くまで
仕事していたじゃない・・・」
「柚菜? 何か思い出した?」
「・・・何も思い出して居ないけれど・・ただ、そう口から自然に出ていた」
少し戸惑うように目が泳ぐ柚菜・・・・
「カズ兄・・お母さんと少し2人にさせて貰っても良い?」
「・・・・じゃあ、俺は外に出ているから・・・」
柚菜が俺じゃなくてお義母さんに多分、結婚の事を確認するのが
堪らなく悲しい・・・


ー 一那side 了 ー
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