目覚めたら初恋の人の妻だった。

変わりたいの

その夏以降、私は長期の休みを桜華学園のプログラムを使い、
海外のホームステイに参加し、日本で過ごす事を避け始める。
カズ君と姉の行動を知りたくないから二人が出掛ける前に登校し、
学校の図書館や予備校に通い帰宅を遅らせ、会わない日常を作り上げていく

目にしなければ痛みは軽減されるがそれでも、たまに家で2人で居るのを
目の当たりにすると心は千切れて砕けそうになり、人知れず枕を濡らした
そんな時は帰宅してしまった自分を呪い、益々 家から遠ざかる心と身体。

中学に上がる時に明応学園に行きたくて行きたくて泣いた私に父は
「大学は好きに選んで良い」の言質をとっていたので、大学は
明応大学を目指し、夢見ていた。
夢見る少女だった頃は大学院に進む予定のカズ君と1年生の私が通える
最後のチャンスに心が躍っていたのに。
明応大学に進んだらカズ君と姉の仲睦まじい姿を2年も見るのは
地獄絵図でしかない現実に絶望し、明応大学を候補から除外したのは
私だけが知っている決意。
それからの私は進学先を模索していたが、心の何処かに明応を諦められず
ズルズルと想いを引きずり、志望校を決めかねていた。

転機が訪れたのは高校2年の春。
新任の数学教師との出会いが人生の指針を見つけるキッカケになるとは
思いもしなかった。

土屋 司 大学を出たばかりの22歳のイケメンの着任はベテランの
教諭が大半を占める女子高の桜華には衝撃的過ぎる出来事で
”春の嵐” 暫くはそんな風に揶揄されていた。

数学が苦手では無いが、得意でも無い生徒を土屋先生は数学が好きに
変える事を容易にしてしまう先生だった。
講師であるにも拘わらず放課後には補講授業もし、夏期講習や
冬期講習も受け持つバイタリティー溢れるその人柄に生徒が集まり
フレンドリーな性格も相まって、数学なんて先生に質問に行くなんて
あり得ない事だったのが、生徒が訪れ、賑やかな数学科の準備室へと
雰囲気が変わった。
私も何時の間にか得意では無かった数学が得意になり、
模試の判定も安定してきていたが志望大学は決めかねていた。
そんな迷いを先生は感じ取ったのか
ある放課後に補講授業が終わった教室で呼び止められた。
「佐倉、大学決まったか?」
「いえ、まだです。」
「なにに悩んでいる?」
「なにに成りたいのか解らないんです。」

私は中学2年でカズ君に失恋するまでは、おめでたい事に
カズ君のお嫁さんになる事が目標だった。
その為、明応大学に進学して卒業と同時にお嫁さんになれると真剣に
夢見ていた。
それが中学2年で壊れてから全く道を探しきれていない現状。

「そうか・・だったら俺の母校でもあるT大に進学しないか?」
「T大ですか? そんな無理ですよ・・・」
「いや、佐倉の安定している学力なら問題ない。あの大学は入学してから
自分の好きな学部を選べるから少しは他の大学より将来を決めるのに
猶予があるぞ。
大学は常に解放しているから一度足を運んでみると良いかもな
カフェでお茶して帰って来るだけでも良いから行ってみろ。」
「先生が一緒にいってくれるなら行きますよ。」
私は行きたくない気持ちも少しあってそんな難題を突き付けてしまった。
「いいぞ!」
「え?良いんですか?」
「幾らでも案内する。今週の土曜日はどうだ?」
「はい。大丈夫です。」

勢いでトントンと決まった事だったけれど
私はこの時、確かに嬉しかった。
土曜日が待ち遠しかったのだから。

先生とは大学で待ち合わせてキャンパスを案内してもらい大学で別れた。
そこに先生と生徒以上の何かは無かったけれど、私の胸は高鳴っていて
その日は姉の動向が全く気にならなかったのだ。

そして先生に案内して貰ったT大の魅力に取りつかれ、
志望校をT大学にした事で先生と話す機会が格段に増えていく。
桜華と明応しか知らない私は外の世界に対して無知すぎていた
だから先生を質問攻めにしていたにも拘わらず
イヤな顔もせずに根気よく答えてくれていた。
それはあくまでも教室や職員室での事。2人になる事はなかったけれど、
何時の日か私はその時間がとても待ち遠しくて楽しみにしていた。

中学2年の夏に心が壊れ、大好きなカズ君と姉を避ける事に尽力する事しか
考えられなくなった3年間で久々に訪れた温かい気持ち。

先生との時間のお陰なのか、自分の中でカズ君に対する気持ちが漸く
終止符が打てたのか、時間が解決してくれたのか解らないが
姉とカズ君のツーショットを見ても以前ほど心がバラバラになるような
気持ちにならないでやっと穏やかに高校生活を送れるようになったのは
有難かった。

そんな順調な日々の高校3年生の夏休み前に、気圧のせいか
頭痛が酷くて学校を休んでしまう。

家にはお手伝いさんと私しか居なかった夕方
幼稚園からの親友の 橘 花音が数学のプリントと行列が出来る
有名店のプリンを持って訪ねてくれていた。

午後から頭痛も治まっていたからテラスでお持たせの
プリンとアイスコーヒーを飲んで女子トークに花が咲く
実は私はあの日からアイスティーが嫌いになってしまった。
だから専ら夏はアイスコーヒー。
苦くて美味しいとは思えないけれど・・・

「このプリン 凄く美味しいんだけど~ 今まで食べてたプリンが霞む~
長時間並んだんじゃない?」
「フッ 橘家の娘が並ぶと思う?」
悪い笑みを浮かべ自信満々に口にする花音が私は嫌いじゃない。
寧ろ清々しくて憧れていた。
「確かに、想像つかないわ。」
そう言って笑い合った。
「私はそうやって笑っている柚菜がスキだよ。」
ズキンと胸の奥が痛んだ。
あの夏の終わり、始業式で花音に会った私はゲッソリと痩せ、
何日も寝れなくて食べれない時間を過ごし、気がついた時には
体重が6キロも減っていて、元々太っていなかった身体に花音は
「枝みたいになったら男から嫌われるよ!」と言い放った。
私は同情して欲しかったのかもしれないが、花音のその言葉に
吹き出してしまった。
辛辣な言葉を言い放つ花音だったが、実は誰よりも心配し、その日
私は橘家に強引に連れて行かれ泊まる事になったのは花音なりの
思い遣りだと知っていた。
そこで洗いざらい話す事になってしまったが、結果的にはそれが
功を奏したのかもしれない。

その日、何日かぶりに美味しく食事を摂り、穏やかな気持ちで眠りにつき、
私は花音が居なかったら死んでいたかもしれない そう思えた。

それでも、結局体重は戻らなかった。
吹っ切れたつもりでも、日常的に一緒に生活している姉を完全に
拒絶する事が出来ない環境なのだから、ストレスを完全に取り払う事は
出来ないので致し方なかった。

痩せた事で街を歩けば芸能界やらモデルのスカウトが増えたのは面倒で、
あんなに大好きだった原宿を歩く事は無くなった。
そもそもカズ君が居たから歩きたかったのかもしれない。
そんな地を楽しんで歩くなんて出来ない。
思い出が多すぎる。

あの夏は私から色々な物を奪い、花音という親友を授けて貰った。

だから私は色々な事を包み隠さず話しているから先生との
大学見学も、会話も知っていた。

「ツッチーは柚菜がスキだよね」
「ツッチーって・・先生が聞いたら嘆くよ。何時も俺は威厳が無いって
ボヤいているから・・・」
「ほら、そんな話をツッチーがするのは柚菜にだけだよ。」
「先生はそんな風に私を見てないよ。一生徒として数学を丁寧に教えて
くれているだけ。」
「そうかな?」
「そうだよ。 第一 私にそんな魅力がある訳が無いのは知ってるでしょ?」
「なに言ってるの! 柚菜 どれだけスカウトされてきたのよ!」
「それはね、この枝みたいな身体だからじゃない・・モデルって痩せてないと
ダメな職業で顔は二の次だって何かの雑誌で目にしたわ。」
「どうして柚菜は自己評価がそんなに低いかな・・」
「それは仕方が無いでしょ・・」
「チっ!私は、あの人たちが嫌いだよ。」
御令嬢には似つかわしくない舌打ちを花音がしたのは
聞こえないフリをしよう。

花音の指すあの人とは姉とカズ君の事だ・・・

「あの人達は関係ないよ・・初めから解っていた事だから。
私がそれに目を背けていただけ。あの2人は悪くないよ。」
「バッカじゃない!もう少し狡くなって良いのに。人のせいにして
良いのに!」
「そんなの惨めなだけだよ。これ以上惨めになりたくないよ。」
「柚菜、柚菜は幸せになる権利があるんだよ。恋をして甘えて
我儘を言ってそれを許してくれる人と笑い合って良いんだよ・・」
「花音・・私にそんな日が来るのかな?」
「来るよ。もう既に来ているよ。ツッチーだってそう思っている。
卒業式の日に賭けてごらんよ。」
「あはぁはぁ・・それは・・考えておくよ・・・」

その後、私達は下らない話をした後、花音は自宅へ帰ってしまい、
その直後にタイミング悪くカズ君と姉が帰宅した。
せめて花音が居てくれたら良かったのにと心の中で呟いてしまう。
何時もだったら学校や予備校で時間を潰していたのに欠席した今日は
どうする事も出来ない現実を粛々と受け止めるしかない。

そんな日に限って両親も早く帰宅し、逆に帰りが遅いカズ君の両親から
夕飯を頼まれていたらしくて久々にカズ君と食卓を
一緒に囲む悪夢が繰り広げられ、眩暈がしそうだ。
折角回復した頭痛が襲ってくるのも時間の問題かもしれない。

こうやって一緒の食卓を囲むのは何年か振りだったけれど、
私以外は当たり前の日常の風景。
私一人がアウェイな感じだったが、不思議な事に何時もは私に
勉強の話なんて聞かない姉が、そしてカズ君もが
私の勉強状況を聞きたがった。
終いには何故か昔、数学が得意じゃなかった事を思い出した姉が
「カズ君、柚菜の数学の家庭教師をしたら?」と言い出す。

『はぁ?~』と言いたい声を呑み込んだ私を大人になったと誰か褒めて欲しい

カズ君も、父も何故か乗りきになり、私の話しなんて聞いてくれない・・・
失恋した相手に勉強を見て貰うなんて生き地獄以外の何物でもないのに。
このままだったら私の受験は確実に失敗してしまう。
私は慌てて
「カズ兄、大丈夫だよ、今は数学は得意だから家庭教師は要らないよ。」
「え?柚菜、数学苦手だったよね?」
姉が畳みかける様に口にするが
「中学生の時は得意じゃなかったよ。でも、良い先生に出会って得意に
なったの。今じゃ学年でもトップクラスの成績だから・・・カズ兄に
時間取らせるような事しなくても大丈夫だよ。」
「そうね。確かにこの所の柚菜の成績は目を見張る物があるって
三者面談でも言われたわ。」
と母が思い出したように口にする。
そんな母に、もっと早く思い出してよ!と心の中で呟いたのは内緒だ。
「じゃあ、明応の入試対策をして貰えば?」姉が更に畳みかける。
明応を受験しない事を誰もが知らない。
ここは自分で乗り切るしかない・・
昔の私ならこの案に飛びついた。
だけど、今はそんなの出来るわけが無い。
それよりも姉はどうしてこんなにも、カズ君を家庭教師にしたいのだろう?と
疑問が湧いてしまう。
あんなに私が傍に居て、カズ君に纏わりついていたのを諫めていたのに。

・・・・・あ~彼女としての余裕があるんだ・・・

それとも私を出しにして、もっとカズ君との時間をと言う事なんだろうか?
折角、私の心が安定してきたのに・・足元からグラつく。
そして素直に受け入れない自分の狭量さが嫌いだ。

「本当に大丈夫だよ。お姉ちゃんは知らないと思うけれど
桜華は外部受験に対して凄く手厚いの。講習授業も既に申し込みを
してあるからカズ兄に勉強を見て貰う時間を捻出する方がお互いに
苦労するから大丈夫、心配してくれて有難う。」
と、私は自分が今まで明応の事で疎外感を感じていた言葉を
そのまま相手に投げつけ、この話題を打ち切った。

更に、過去の私に気がついている母が援護するように
「確かに桜華は手厚いからね。一那君も残り少ない大学生活を楽しんで。
それに大学院に進学するんでしょ?その勉強もあるから無理しないで。」

私はこの日から余計に家に足が向かなくなり、殆どの時間を
予備校の自習室で過ごす事にしたのは、自分の意見を言ったつもりでも
実は2人の遣り取りの仲の良さに少なからずも傷ついていたからだった。
< 6 / 100 >

この作品をシェア

pagetop