バカ恋ばなし
12月末になり、いよいよ石家先生の研修終了まで残り1週間となった。もうそのころには、石家先生はもう病棟の顔ともいうべき存在になっていた。職員はともかく、患者からの信頼も絶大で、「先生まだこの病院にいてよー!」「東京の病院に戻らないでぇー!」と職員や患者たちにいつも泣きつかれていた。その度に石家先生は「残りたいのはやまやまなんですが~。」と済まさそうに苦笑いをしながら言っていた。私は皆よりも人一倍、石家先生にはずっとこのⅮ病院に残ってほしいと強く願っていた。
(また先生と一緒に飲みに行きたいな~)
私は、また石家先生と二人で飲みに行く機会を見計らっていたけど、北島さんや米倉主任、田島先輩達が先生の周囲をウロついていて、誘うチャンスがなかなかなかった。
(どうしよう……もう先生は東京の病院へ戻ってしまう……)
そんな焦りが私の心の中をグルグルと渦巻いていた。
焦りに焦っていたある日、思わぬチャンスが到来した。その日は準夜勤務で私は憂鬱な気持ちで出勤し、日勤リーダーから申し送りを聞き、担当部屋のバイタルサイン測定に回っていた。一通り測定が終わり、ナースステーションに戻って隅にあるデスクで一人温度版に測定結果を記入していた。日勤者は終了早々に退出し、他のメンバーはまだ各自の担当部屋を回っていたのでナースステーションには私一人だった。黙々と温度版の記入をしていたら、ステーションの入り口からヒョコっと石家先生が入ってきた。
「あれ?丸ちゃん準夜勤なんだ。」
「あ、先生お疲れ様です!」
私は驚いてパッと顔を上げた。石家先生はケーシー白衣にチノパンツ姿で赤いダウンジャケットを羽織って立っていた。
「午前中に501号室の広木さんの様子を見に来んだよ。昨日子宮全摘したからね。バイタルは落ち着いている?」
先生はダウンジャケットを脱いで医師用デスクの椅子にかけ、カルテ棚から501号室に入院中の広木さんのカルテを取り出した。
「あ、はい。先ほど血圧測定して114/72、体温は36.7℃でした。創部の疼痛は体動時にあるそうですが、それ以外は状態は落ち着いています。」
私は慌ててはバイタル測定表をみながら答えた。
「そうか……ありがと。」
石家先生は微笑んで言った。そしてすぐに真剣なまなざしでカルテに目を通していた。
私はそんな石家先生の整った横顔をジッと見た。
(真剣なまなざしの先生はやっぱりステキ‥‥‥)
そう思っている中で、ふと私の頭の脇からもう一人の私の心の声が聞こえた。
(今がチャンスだ!今だ!)
「あ、あの、先生!」
私は石家先生に向かって声をかけた。
「何?」
石家先生はカルテから目を離し、私の方を向いて返事をした。私はドキっとした。
「あの、先生はもう今月いっぱいで東京に戻ってしまうんですよね。」
「あぁ、そうだけど。」
「あの、また一緒にどこかで飲みに行きませんか?」
私は一歩前に出て石家先生に言った。緊張で唇は微かに震え、胸の鼓動はドキドキと高鳴っていた。
「う~ん……もうそろそろ戻る準備とかで忙しくなるからどうかなぁ~。」
石家先生は、ちょっと困ったような表情を浮かべた。その返事を聞いたとたん、私の胸の鼓動は更にドキドキと強く打ち出した。
(今回ダメかな……でも、ここで終わりにしたくない!)
「忙しいところごめんなさい!先生、もう東京に戻ってしまうからちょっとでいいから一緒に飲みにいきたいなぁと思って……」
私は、必死な思いで先生の顔を覗き込みながら言った。胸はドキドキと鳴り続けていた。
石家先生は少し考えた後、またいつもの笑顔に戻った。
「うん、ちょっとだったらいいかな。」
その返事を聞いた瞬間、私の胸の動悸と苦しさがパアっと軽くなってきた。
(やったぁ!イケイケ!!)
「じゃあ先生、週末とかいかがですか?土曜日の夕方とか。」
「土曜日か……ちょっと待って。」
石家先生は白衣のポケットから黒い手帳を出してペラペラ捲り出した。
「土曜日かぁ……オンコールだけど夜中何もなければ大丈夫だよ。お酒飲めないけどね。」
石家先生はニッコリ笑顔で言った。
「じゃあ土曜日で!18:00に寮の前に行きます!ありがとうございます!」
私は石家先生に向かってニッコリ笑顔で一礼した。嬉しくて嬉しくて思わずその場で「やった!」と小さくガッツポーズを取った。石家先生は「うん。」と言ってその後真顔でカルテの方に目を向けた。
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