婚前契約書により、今日から私たちは愛し合う~溺愛圏外のはずが、冷徹御曹司は独占欲を止められない~
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八岐大蛇には頭が八つ、尾も八つあり、背中は苔やスギやヒノキに覆われ、ホオズキのように真っ赤な目をしていたという。
「ねえ、奈子ちゃん。聞いてるの?」
奈子はハッとして顔を上げた。
母の穂波がティーポットのリーフを蒸らしながら、長いまつげの下で娘をじっと見る。
「さっきからぼーっとしてる。宗一郎さんのことを考えているんでしょう」
「宗一郎くんはいい男だっただろう。誠実だし、才能もあるし、きれいな顔をしているが、剣道は五段の腕前だそうだ」
行高が宗一郎のことをすでに義理の息子かのように自慢する。
「うん、まあね」
奈子は空っぽになったマグカップに口をつけ、返事をごまかした。
ちなみにさっきインターネットで調べたところ、ホオズキの花言葉は"偽り"だった。
でも、鬼灯宗一郎はなにかを偽っているわけではない。
たとえ婚約指輪の代わりに婚前契約書を提示し、思考がフリーズした奈子を帰りの車までエスコートした途端、さっさと次の仕事に向かっていたとしても。
婚前契約が欧米の、とくに資産の多い恋人同士が入籍をするときには、一般的に取り交わされることも理解している。
だけど宗一郎と奈子は、愛し合って結婚を決めたわけじゃない。
奈子は婚約者の連絡先さえ知らないのに。
(顧問弁護士さんの名刺ならもらったけど)
婚前契約書に記された詳細な取り決めのことを考えると目眩がする。