婚前契約書により、今日から私たちは愛し合う~溺愛圏外のはずが、冷徹御曹司は独占欲を止められない~
宗一郎がなぜこの商談を成立させたいのか、奈子にはちゃんとわかっている。
現在の鬼灯グループにとって宗一郎の結婚がどんなに重要か。
あかり銀行頭取の娘を花嫁に選んだことがなにを意味するのか。
鬼灯の血族が日本政財界でどれほど巨大な権力を有しているか、知らないわけではない。
それでも今、奈子がただうなずくだけで、父と母はきっと鬼灯宗一郎が何者かさえ理解していないみたいに婚約の破棄を決める。
破談にしたら、行高はもう頭取ではいられないのに。
奈子は恥ずかしそうに笑って首を振った。
「なんかぼんやりしちゃうだけ。宗一郎さんみたいな男の人が突然婚約者になったら、誰だってぼーっとしたくなるでしょう。それに」
いつか好きになった人と結婚がしたかった。
でも、鬼灯宗一郎との婚約は断れない。
「好きな人なんていないよ」
奈子は空になったマグカップを持ってキッチンに立つと、迷いを押し流すように水栓レバーを下げた。
勢いよく落ちる水で汚れたマグカップを洗う。
「私、そろそろ帰るね。明日も仕事だし」
「あら、そうなの。泊まっていくのかと思ってた。行高さん、お酒飲んじゃうんだもん」
穂波が行高をちらりと見て口を尖らせた。
「すまん。タクシーを呼ぼう」
頬を火照らせた行高があたふたと立ち上がり、固定電話の受話器を取る。