堅物な和菓子王子は一途に愛を貫く

「どうしてスーツなんて着てるの?」

静かな空気を破って、疑問に思っていたことを聞いた。今日は、『まつの』はお休みだ。休みの日にスーツを着る用事?

「今日は「『京泉』に行ってましたから」

「和菓子職人さんなのに、スーツなの?」
次々に質問をする彩芽に、タロちゃんは困ったような顔をした。

「ごめん。余計なこと聞いた」

下を向く彩芽の頭を軽くなでると、「いつか話します」とタロちゃんは言う。

『いつかっていつ?』そう聞きたいが、それ以上はダメだ。タロちゃんには、彩芽の知らないことがたくさんある。踏み込むことができないことはわかっていた。

タイミングよく、熊さんが料理を運んできてくれた。

海老しんじょ、えんどう豆を炊いたもの、ナスの煮びたしだ。

彩芽は小さく歓声を上げた。
小ぶりの鉢に盛られた料理は、どれもみんな美味しそう。

熊さんは嬉しそうに、「どうぞ。お召し上がりください」と言った。

木のお匙でえんどう豆を煮汁ごとすくう。口に入れると優しい滋味深い味が口いっぱいに広がった。

「美味しい…」

ほーっと息を吐くと、「ありがとうございます」と、女性の板前さんが微笑んだ。

タロちゃんは静かに食事をする。

タロちゃんは食に対してとても真摯だ。それが、母の作る差し入れでも、忙しい時に頼む仕出しのお弁当でも。

そんなタロちゃんの姿勢がとても立派だと思う。彩芽も静かに味わって食べた。

その後、鰆の塩焼きが出され、最後にカニの身がたくさん入った、カニ雑炊が出た。

タロちゃんの注文通り「優しい感じのもの」で統一されたメニューだった。

食べ終わるのを見計らったように、熊さんが温かいお茶とガラスの器を出してくれる。ガラスの器には、ぷるんとした葛饅頭が入っていた。

「これは『京泉』のものなんです」
タロちゃんが説明してくれる。

「『京泉』は、市内の飲食店にデザートの卸しもしているんですよ」

「『京泉』規模の和菓子屋さんだと、商品は全部工場で作ってるのかと思ってた。これは手作りよね?」

「本店や、支店の大きなお店では、職人が手作りで作っているものもあります」

「タロちゃんは、本店の職人さんなの?だから、あんこの修行をしてるの?」

タロちゃんは「そうだ」とは言わない。ただ微笑むだけだった。

葛饅頭を一口食べる。つるっとした触感と、こしあんの滑らかさが心地いい。初夏にぴったりのデザートだった。

食べ終わったあと、しばらく余韻を楽しむ。会社を出た時は、荒れ狂う嵐の中にいるような気持だったが、今は静かに凪いでいた。

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