愛のない結婚のはずが、御曹司は懐妊妻に独占欲を放つ【憧れの溺愛シリーズ】
彼が教えてくれた通りに遠くを見ていたのが良かったのか、はたまた、異性との慣れない近さに気を取られた良かったのか。段々と高さに恐怖を覚えなくなったわたしは、しばらく食い入るようにガラスの向こう側の景色に魅入っていた。夕立のおかげで空気が澄んでいて、街が遠くまでよく見渡せる。

対岸にあるウォーキートーキー(スカイガーデン)も、ロンドン塔もセントポール大聖堂も。すべてが黄昏に染まっている。

不意に言いようのない寂寥感に襲われた。

―――きっと、もう二度とこの景色を見ることはないのね。

そう思ったら、無性に胸をかきむしりたくなった。

痛む胸を(こら)えながら、(まばた)きすら惜しんで、黄昏に染まるロンドンを目に焼き付けた。


太陽が完全に沈みきったあと、祥さんは「そろそろ行くか」とわたしを囲っていた両腕を下ろした。背中に感じていた温もりが離れていく。

視界に広がるブルーアワーのロンドンが滲んでいく。あと三十分もすれば淡い宵闇は、きらびやかな夜景に変わるだろう。

本当はそれも見てみたい。もっとここに居たい―――帰りたくない。

喉元まで込み上げたその言葉をぐっと呑み込むと、わたしはこっそり目元を拭って頷いた。

この街のように洗練された香りを纏う、名前しか知らないこの男性を、これ以上わたしの都合に付き合わすわけにないかない。

そう思ったのだった。


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