政略結婚のはずですが、溺愛されています【完結】

「どうかしましたか?」

 目の前に佇む夫が私を見下ろしていた。
玄関先で高級な光を放つ革靴を私に向けたまま、動かない。

「…俺たち夫婦じゃん」
「あぁ、まぁそうですね」
「夫婦っていうのは、」

そう言うと突如彼の手が伸びてきた。安心しきっていた私の手首が拘束され、ぐっと引き寄せられる。
アンニュイな瞳に、鋭さが宿った。

「っ」
「行ってきます、のキスは普通するもんでしょ」
「…へ」
「ほら、」

 今にでもくっつきそうなほどの距離は私の心拍数を簡単に上昇させる。金魚のように口をパクパクさせて、目を丸くする。状況を理解しようにも頭が追い付いていかない。楓君の匂いが鼻を掠めて、私は泣き出しそうに顔を歪めていた。
「そ、それは…知らなかったです」
「今知っただろ。していい?」
「いや、待って…いただけるとありがたいです」
「…」

 ムッとした楓君は、はぁと小さく息を漏らすと手を離し、そのまま私の前髪を上げるとそこに軽くキスをした。

「…わ、っ…」
「行ってきまーす」

ガチャっとドアを開き、そのまま彼は会社へと向かった。
西園寺グループの若き副社長の妻として恥じないように家事等は完ぺきにやっていると自負はある。

だけど…―。

「…ダメだ、心臓が…」

その場に座り込み、バクバクとうるさい心音を止めるように胸に手を当てる。しかしそれは一向に鳴り止まない。
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