社長と同居しているだけです。結婚に愛は持ち込みません。


暫くすると、社内フロアーで誰かが、大きな声を出した。


『一階のロビーに、桐ケ谷美和が来ているぞ!!』


その声が聞こえると、すぐに多くの人達がロビーへと駆け出した。
やはり、桐ケ谷美和の人気はすごい。
私も、その声を聞いて、一階ロビーへと急いで向かった。

沢山の人達がロビーに集まっていたが、その隙間からみんなが注目している方向を覗き込むと、そこには憧れの桐ケ谷美和がいた。

その姿は、雑誌等で見るよりも数倍は美しい。
本当に妖精のような透明感がある。

そして、桐ケ谷美和と話をしているのは、社長である葵さんだ。
美男美女は立っているだけで絵になる。
雑誌のグラビアか、ドラマの撮影ではないかと思うほどだ。

葵さんと桐ケ谷美和はその後、社長室に向かったようだ。

本物の桐ケ谷美和に会えるなんて、夢のようだ。
桐ケ谷美和は、活動拠点をニューヨークに移しているため、日本で会えるなんて思ってもみなかったことだ。
こんなラッキーなことがあるなんて、夢のようだ。

私は、経理部の自席に戻ったが、興奮が収まらないほどだった。

すると突然、経理部に社長室から電話が入ったようだ。
電話を取ったのは、経理部の白井課長だ。


「姫宮さん、社長室にすぐに来てくれと連絡だけど、何かあった?」


白井課長は、私と葵さんの関係を知らない。
普通に考えても、社長室に呼ばれるなんて、余程のことが無い限り、無いことだ。


「…はい。よく分かりませんが…とりあえず社長室に行ってきます。」


私は社長室に向かいながら、自然と口角が上がる。
今、社長室には恐らく、憧れの桐ケ谷美和がいるはずだ。


私は心の中で叫んでいた。

(…葵さん!ありがとう!…)

心の叫びが、笑顔となって漏れてきそうだ。


“コン、コン、コン”


社長室のドアをノックする。


「姫宮花梨です。失礼します。」

「…あぁ、入ってくれ…」


社長室に入ると、応接には、あの桐ケ谷美和が座っている。
桐ケ谷美和の周りだけ、後光がさしているように輝いて見えた。

桐ケ谷美和は私に気が付くと、立ち上がりニコリと美しく微笑んだ。


すると、葵さんが私の紹介を始める。


「美和、まだ紹介していなかったが、俺の妻で、花梨だ。」


私は妻と紹介されて、慣れないせいかドキッとしてしまうが、それ以前に、葵さんが桐ケ谷美和を名前で “美和” と呼んでいることに驚いた。
とても親しい間柄のように見える。

桐ケ谷美和が、私に向かって握手の手を差し伸べた。


「花梨さん、初めまして、桐ケ谷です。これからよろしくね。」


憧れの桐ケ谷美和と握手をしてしまった。
私は緊張のあまり、顔が熱くなり、爆発寸前だ。
こんな日が来るなんて、嬉しくて舞い上がりそうになる。



しかし、握手をした瞬間にフワッと香水のような香りがした。


この香りは、つい最近にどこかで感じた香りだ。


そう、この香りは…


この香りは、昨日、葵さんが帰ってきたときに感じた、ローズ系の甘い香りとそっくりだ。




私の心臓が、ドクンと音を立てる。
先ほどまでの緊張からくる、ドキドキとは明らかに違う心臓の音だ。

私は努めて平静を装った。


「花梨と申します。よろしくお願いいたします。」


その時、葵さんの携帯に着信の音がした。
葵さんが電話に出ると、どうやら急ぎの要件のようだ。
葵さんは申し訳なさそうに、私たちに合図をすると、部屋の外に出てしまった。


すると、急に桐ケ谷美和の態度が変わる。
なんだか少し恐い表情にも見える。
何が起こったのだろうと、戸惑っていると、桐ケ谷美和は私を睨むように直視して話を始めた。



「花梨さん、あなたは葵と結婚したみたいだけど、どうせ偽りの結婚なんでしょ?」

「…っえ?」

「私はねぇ、ニューヨークに発つ前、葵とはとっても親しくしていたのよ。葵はいつも私に優しかったわ。」

「そ…そうなんですか…」



私は、桐ケ谷美和に対して、なんと言って良いのか分からない。
確かに、私たちは偽りの夫婦かもしれないが、なぜそんな事をいきなり言い出すのだろう。


「花梨さん、代わってくれないかな?葵もそのほうが嬉しいはずよ…」




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