朔ちゃんはあきらめない

 なぜわたしが弟くんと2人で夜道を歩いているのか。それは簡単。新堂さんが「送ってやってよ」と弟くんにお願いしたからである。
 その言葉を聞いてギョッとしたのはもちろんわたしだけではなかった。弟くんも「なんで俺が!?」と至極真っ当に噛みついたが、「僕、この後約束があるから」と有無を言わさない笑顔で告げられれば頷くしかなかったようだ。かわいそすぎる。見てられなくて「一人で帰れます」と断ったが「女の子が一人は危ないから」と新堂さんに押し切られてしまった。

「あんなやつのどこがいいの?」

 無言で歩いていた気まずい空気の中、弟くんは唐突に話題を振ってきた。あんなやつとは、間違いなく新堂さんのことであろう。

「どこ……さぁ?分からないです」
「……なんだそれ」

 本当に分からないのだ。知れば知るほどテキトーで最低な男だと思う。彼氏にするには最悪なタイプだ。だけど理屈じゃない。好きだと思ってしまったんだから、それはもう今さら消せないのだ。
 わたしの答えを聞いた弟くんは小さく笑った。あ、笑うんだ。そんな当たり前のことに今気づく。怖い怖いと思っていたが、笑えばなんてことない、2歳下の男の子だ。

「えっと……」

 わたしが言い淀んでいると、彼は「朔」と自分の名前を改めて告げた。わたしが何に悩んでいたのかを瞬時に察するなんて、とまた彼を見直した。いや、見直したなんて偉そうに言える立場ではないが。
 「さ、さく、」と口に出して、なんと呼べばいいんだ?と思った。呼び捨てはさすがに距離を詰めすぎだし、朔くんって呼びにくくない?

「朔ちゃん」

 そう考えて、わたしは彼をそう呼んだ。まさかちゃん付けで呼ばれるとは思っていなかったことが、驚きに満ちた表情から伝わってくる。だけどそれについて特に発言することなく「なんだよ」とぶっきらぼうに応えてくれた。

「高校どこなの?」
「……森ノ宮」

 え?なんて?森ノ宮?え?あの?今度はわたしが驚く番だった。朔ちゃんが告げたその高校は偏差値70後半の進学校だったからだ。……ヤンキーじゃなかったの?あ、だから私服なんだ、と朔ちゃんの格好を見て合点がいった。森ノ宮は私服通学で有名なのだ。
 わたしがなにを考えているのか伝わったのだろう。朔ちゃんはばつが悪そうに「なんだよ」と唇を尖らせた。

「や、びっくりして。めっちゃ賢いじゃん」
「……んなことねーよ。俺より兄ちゃんのが賢い」

 それは謙遜が過ぎる。新堂さんと比べるとそうなのかも知れないが、世間一般ではかなり優秀だし、わたしなんて比べるのもおこがましいレベルだ。

「そっちは?」

 そっちとはどっち?と一瞬思ったが、朔ちゃんが顎でわたしを指したのを見て理解した。「わたしは、城南ひがし」と言えば「あー、制服がそーだな」と納得したようだった。
 なにを隠そう、森ノ宮と城南ひがしはかなり近い場所にあるのだ。なので制服も見慣れているのであろう。

「どこかですれ違ったことあるかもね」
「かもなぁ」

 それは単なる会話の流れの軽口だ。実際はこんな派手な頭を一目でも見たなら記憶に残ると思う。それに派手な頭を抜きにしても朔ちゃんは目立つのだ。新堂さんとはタイプが違うが、朔ちゃんもかっこいい。まだまだ幼い顔つきなのでどうしても男としては見られないけれど、将来は絶対に格好よくなることが確定しているほどに端正な顔つきをしている。

「わざわざ送ってくれてありがとう」

 駅に着いたので立ち止まってお礼を言うと、朔ちゃんは「兄ちゃんのことまじで好きなのかよ」と聞いてきた。余程聞きづらいだろうことが、所在なさげに彷徨う視線が物語っている。

「うん……好きだよ。あ、でも新堂さんには内緒にしてね?絶対!」
「……言わねぇけど」

 わたしの圧に押された朔ちゃんはそれだけ言うと面白くなそうに「はぁ」とため息を吐いた。また悩みの種が増えた、とでも思っているのだろう。新堂さんみたいなのがお兄ちゃんだと気苦労が絶えないもんね、きっと。

「……家に連れてきた女はお前が初めてだよ」

 朔ちゃんは意を決したようにそう告げた。知らされた事実に嬉しくて声を上げそうになったが、瞬時に冷静さを取り戻す。朔ちゃんが教えてくれたことは事実なのだろう。だけどそれはわたしが特別だとかそういうことではない。断じてない。なぜなら真の理由が"わたしと朔ちゃんを引き合わせること"であったからだ。それを遂行するために家に呼ばれただけだ。
 その任務は最悪な形でも成し遂げられたわけだ。だからこそ新堂さんは「約束があるから」と言って、朔ちゃんに駅まで送らせたのだ。いや、約束は本当にあるのだろうけど。別の女の子との約束が!!

「そっか……嬉しい」

 だけどこの気持ちも本心である。きっかけは何にせよ、わたしは新堂さんのプライベートテリトリーへと招かれたのだ。

「協力してやるよ」
「ん?」
「だーかーらー!お前が兄ちゃんと付き合えるように俺が協力してやるって言ってんの!」

 なんでそんなふうに思ったんだろう?不思議に思ったが、わたしは人の善意には全力で甘えていく所存である。「ありがとう」と笑えば「おう」と応えてくれた。
 朔ちゃんの方がわたしより随分と背が高い。なのに視線を合わせないように顔を逸らすので、わたしの目には朔ちゃんの青しか入ってこないのだ。「こっちを向いてよ」と言えば視線を合わせてくれるだろうか。それを試す前に「じゃあな」と朔ちゃんは背中を向けて行ってしまった。
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