音楽なんかで世界は救えない
『纏くんにしか頼めないことがあるんだけど、相談乗ってくれる?』
『別にいいよ』
纏からの返信は拍子抜けするほど簡易的なものだった。透花は一抹の不安を抱えたまま、明くる日、纏を打ち合わせに呼び出すこととなった。
*
「ごめん遅れた! 透花……と、誰お前」
待ち合わせに指定していたターミナル駅の時計台の前にやってきた、纏の第一声がそれだった。こちらに駆け寄る途中までは、いつも通りだった纏の表情が急に無表情に切り替わったのである。
そして視線の先は、もちろん律だ。
妙に重い空気が流れていた。その雰囲気を破るべく、透花は纏と律の間に割って入った。
「あ、えっとね、纏くん。この人は、」
「どうも、俺は雨宮律。よろしく」
いつの間にか透花の背に隠れていたはずの律が顔を出す。好意的な笑みで纏に差し伸べた律の手を、ぱしんと纏は振り払った。
「よろしくしない」
律は居を突かれたように目を丸くしながら、落とされた手を擦った。そして、何か思い至ることでもあったのか、ふーん? と語尾を上げて機嫌よく喉を鳴らす。
「はは、初手から横暴じゃん」
「……何なのコイツ。説明して、透花」
「纏くん落ち着いて、」
「まさか、僕に相談したいこととコイツが関係してるとか言わないよね?」
「お、察しいいね。その通り」
「お前に聞いてないから。黙れ。てか、透花から離れろ」
「笹原さんの近くにいて何か問題でもある?」
「とりあえず、わたしの間で喧嘩するのやめてください……」
出会ってものの3分程度で、既に纏と律の関係に修復しようのない亀裂が発生していることに、透花は大きく肩を落とさずにはいられなかった。
✳︎
頼んだドリンクバーのジュースを前に、重苦しい雰囲気がその卓を包み込んでいる。
ずず、とグレープジュースを飲む律の音だけがやけに響いている。
透花は腹を括り、顔を上げた。纏の殺人的に冷たい目線と目が合う。
「で、何? 僕に頼み事があるんでしょ」
「それは、」
言葉を詰まらせる透花を見かねてか、隣から助太刀が入った。
「動画を作ってほしい」
「……誰が? 何の?」
「俺の曲と、笹原さんのイラストで動画を作ってほしいんだ。MVってやつ」
「は、冗談?」
「本気。笹原さんと1曲作って、もう既に動画サイトに投稿してる。ITSUKAって名前で」
「……透花が?」
纏の瞳の奥が激しく揺れ動いた。纏にとって想像の及びもつかない頼み事であるとは、透花も自覚していた。
「それ、本当?」
「……うん、本当だよ」
透花が素直に頷く。
纏は猫のような真ん丸の瞳を見開いて、やがてすべての理解が追いつくと震える唇を噛み締め、透花から視線を逸らした。
「そういう、ことか」
「え?」
「ここ最近の透花の様子。ようやく合点がいった。……コイツのせいだったんだ」
「せい、って人聞き悪いな」
纏の棘のついた言葉尻に肩をすくめた律から横やりが入る。
「で、どう? やってくれる?」
纏は思案するように眉を寄せ、それから諦めに似たため息をついた。
「まず、その投稿した曲聞かせて。考えるのはそれからでも遅くないでしょ」
お、話が早いね、と律は機嫌よく、ブレザーのポケットから取り出したスマホを纏の前に置く。纏は大人しくイヤホンを耳に嵌めた。
そこからが、地獄の始まりである。
✳︎
動画の再生ボタンを止めた纏はイヤホンを外し、緩慢な動きで目を開くと軽い口調で言った。
「まあ、いいんじゃない」
纏にしては柔らかい物言いに透花は肩透かしを食らった。律もまた、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で纏を見る。それらを一瞥したのち、纏は言い放った。
「───ド素人が自己満でやる分にはちょうど良くて」
「……は?」
「だから自己満でやる分にはいいんじゃないって言ったんだよ」
律と纏、両者から火花が散っているさまが見えた。透花は思わず額に手を当てて、項垂れる。
「まず、第一に動画のクオリティが低すぎる。よくこれをサイトにアップしようと思ったね。視聴者に再生してもらおうって気概ある? こんなサムネで? 笑える」
「……」
「歌詞フォントクソダサすぎ。透花のイラストの邪魔しかしてない。曲の冒頭と若干ずれてるし、サビの盛り上がりに全然マッチしてない。ねえ、ちゃんと編曲したの? なんかすごいバランス悪くない? やりたいこと詰め込み過ぎて破断してるように聞こえる。二郎系ラーメントッピング全部乗せニンニクマシマシじゃん胸焼けさせたいの?」
「……」
「透花ここの部分描くの絶対3週間以上かかってるでしょ。一枚絵で何秒持たせる気だよ? 動画の意味無いじゃん。相変わらず細部までこだわり過ぎて動画アップするまでの納期伸ばしまくったのバレバレ。そういうとこほんとに悪癖だよ」
「……」
撃沈。
その一言に尽きた。
だというのに、「一番の問題は」と纏は続けて言葉を重ねた。もはや死体蹴りだった。
「なんの宣伝もなしにこれをアップしたことが最大の過失」
「せんでん……?」
初めてその言葉を口にしました、とでもいうように透花はその言葉を繰り返した。
動画をアップすることが最終目標だった透花たちにとって、その二文字は全くの頭の中にはなかったのだ。まさか動画以外のことを指摘されるとは思いもよらなかった。
「これだから芸術肌のやつらは……」
纏は確信した。
透花は言うまでもないが、隣に座る律もまた一点集中型の諸突猛進バカであることを。
「この動画サイトで一時間に何本の動画がアップされると思ってんの? 五万はくだらないわけ。レッドオーシャンなの。ユーザーに見てもらうのに一番必要なのは宣伝。次に宣伝。MVの完成度は二の次三の次。まして無名な音楽ユニットがなんの宣伝もなしにここまで視聴されてるのが逆に奇跡だから。自分たちの運と才能に土下座して感謝した方がいいよほんとに」
「ナルホドー」
透花の頭は、キャパシティーオーバーであった。
すべてを言い切ったであろう纏は目の前にあったオレンジジュースをごくごくと勢いよく飲み干した後、かん、と机に叩きつける。
「総評。サイトにアップすることが最終目標なら、お前らのお遊びに付き合う暇はない」
纏の言う通りだった。ぐうの音も出ない。透花たちにとって、曲を作ってイラストを描いてそれを動画にして、サイトにアップする。それだけだった。それだけで完結していたのだ。
「───けど」
カラン、と解けた氷がコップの底に落ちる。
「本気でやりたいって言うなら、お前らに付き合ってやってもいい」
「本当か!?」
「それ相応の覚悟があれば、の話だけど」
纏の視線が透花に向けられた。
纏は透花を試しているのだ、と透花はすぐに理解した。お前に逃げ出さずに最後までやり遂げる覚悟があるのか、と。
透花は膝の上に乗せた手を強く握る。覚悟ならあの日、律から紙を受け取ったときにとっくに決めている。
「覚悟はあるよ。協力してほしい」
まっすぐ、纏を見つめて透花は言う。纏はうら寂しそうに柔く笑う。
「……透花、変わったね」
「わたしが?」
「うん」
変えたのがコイツっていうのが、死ぬほど気に食わないけど、と纏は心の中だけで毒を吐く。けれど今回ばかりは許そう、と納得することにした。好きな子が幸せそうに笑ってくれるだけでいいと思えるのは、惚れた男の弱みってやつだ。
「いいよ。協力する」
契約成立の握手で締め括ろうと纏は律に向かって手を差し伸べた。今度は振り払われず、確かに握られた手と手。律は少し納得いかずに質問する。
「話を受けてくれるのは有難いけどさ、あんな酷評しといて協力するのはなんで?」
「は。そんなの、決まってんじゃん」
纏はにっと年相応に悪戯っぽく口元を上げて、笑う。
「このまま埋もれさせておくには、惜しい才能だと思ったから。なんか文句ある?」
斯くしてその日、ITSUKAに動画編集兼プロデューサーが一名加わったのである。