ちょうどいいので結婚します
 目の前の千幸の唇が震えている。功至は、こんな顔をさせたいわけじゃないとただ胸を痛めた。初めて千幸の口から呼ばれた自分の名は悲しく響いた。

「無理しないでください」
「無理……?」
「これ以上、無理しないでください。だから、私との結婚は……」
 功至の胸は強い憤りどうにかなりそうだった。
「あなたでしょう? この結婚に無理をしてるのは、あなたじゃないか」

 功至は立ち上がり、食事もほとんど手を付けずに会計を済ませると店の外へと飛び出した。頭に血が上り、頭の中で微笑みあう千幸と良一の姿を思い浮かべ、その残像を追い払うように急ぎ足で歩いた。ずっと、ずっと辛かった。たまに見せる笑顔が良いなって思ってたけど、いつもあの笑顔を向けられる男がいる。あの笑顔を当たり前のように受ける男がいる。何だよ、そっちの方がいいじゃないか。


 外は冷え込み、見渡せばにぎやかな声が聞こえた。時期的に酔って騒いでいる人がいたのだ。人も多い。

 功至は、チッと舌打ちをすると、もと来た道を戻った。今戻るのは気まずい、胸が痛い。だけどそれ以上にこんな雑多な街を千幸一人で帰らすことは心配だった。可愛いしな。こんな時にまでそう思う自分に呆れた。千幸のことが大事だった。自分のちっぽけなプライドなんてどうでもいいくらいに。

 店の外で待っていると、肩を落とした千幸が出てきた。功至は、何とかしてやりたくても自分に出来ることはないのだと悟った。千幸は、功至に気が付くと、ハッと目を見開き、体を強張らせた。

「送ります」
「いえ、でも、大丈夫です」
「……送ります」
「……」

 賑やかな街で異質なほど静かに功至と千幸は肩を並べて歩いた。
< 123 / 179 >

この作品をシェア

pagetop