酔いしれる情緒
一度呼んだ名前は
春の唇によって打ち消された。
耳元に響くリップ音。我を忘れたかのように甘い口付けを繰り返す春、に。
「っ、……なに」
その行為を中断させるよう、春の顔面へとあるモノを突きつける。
右手は未だ壁に押さえつけられたままだけど
逆の手でその端正な面に"紙切れ"を押し付けた。
それはちょうど左手近くに落ちていたからで
「…………は?」
細々と書かれているのに、春はそれを一瞬見ただけで内容を理解したらしい。
だってメガネの奥にある瞳を丸くさせたんだから。
そして何かに気づいたらしく、視線を真っ直ぐ私に向ける。
「もしかして……橋本さん?」
どこでそう気づいたのか分からないが、素直に頷けば春は綺麗な顔を歪ませて盛大に息を吐いた。
なんとまあ…分かりやすいため息なんだろう。
「何考えてんだよあの人…」
「ほんっと分かんねぇ…」と
春は橋本さんに対してそう言うけれど、
私は逆にアンタの考えてることがまるで分からない。
────あの日、私を突き放したくせに。
コイツは理由も述べずに私を突き放した男で、そんな人に1週間も放置されては、このままもう会えないんじゃないかと思えていた頃合だった。
なのに春はまたこうして私の前に現れた。
まるで、その考えを否定するかのように。
そしてここが外だというにも関わらず
とてつもなく甘いキスをする。
コイツに警戒心というものはないのか?
記事にとられるかも、とか
撮られてしまったら、とか。
そっちの世界の事情を知るわけもないし詳しくもないけど、撮られるのは相当やばいことくらい一般人の私でも分かる。
私と距離をとったのは、その可能性が出てきたからなんだと、少なからずそう思っていたし。
「これ捨てていいよ」
「は? なんで」
「嫌な予感しかしない」
「…理由になってないんだけど」
「いいから。俺の言う通りにして」
………またかよ。
また、アンタの言う通りにしろって?