酔いしれる情緒
「でもまあ、その仕事もたった今終わったんですけどね」
そう言った橋本の影が無くなり、私の視界には明るさが戻る。
私に背を向けたこの人はどうやら帰るらしい。
仕事とは一体なんだったのか。
聞いたところでよく分からない回答が返ってきそうだし、気にしないでおこう。
一瞬だけ橋本の背中を見送ってまた元の位置に視線を戻す。
けど、数秒も経たないうちに橋本が「あ、そうそう。」なんて言って戻ってくるとは思わなかった。さっさと帰れ。
「今度はなんなんですか…」
「最近、手首にヘアゴムを付けるのが流行っているらしいですね」
言って。橋本は自身の手首を見せてきた。
そこについてあるのは高級腕時計ですけどね。
「それがなにか?」
「あれ。もしかしてご存知じゃない?」
「流行とかそういうのに疎いんで」
素直にそう言うと橋本は驚いた顔一つせず、「まあ確かに。」なんて言いそうだった。
「じゃあ、そんな安藤さんに助言を1つ。」
「………………」
「アイツの腕にもついてるよ。ずっと」
……それが一体なんなんだ。
わざわざ言いに戻ってくることか?
ただ流行に乗っているだけにしか思えない。
「だからね、安藤さん」
「…………………」
手を止め、見上げる。
目が合えば橋本はニコリと笑みを浮かべた。
「今はまだ、嘘か本当か分からない情報に惑わされずもう少し彼を信じて待ってみるのもアリかと。」
「………前とは全く違ったことを言うんですね」
「こうすれば僕の好感度も少しは上がるかなと思ってね」
「………………」
「冗談だよ冗談。」
「でも、ちょっとは本気」と笑う橋本のその顔は憎たらしい笑顔なんかじゃなくて、優しい顔で微笑むその姿になんだか親を思い出してしまった。
そういえば最近帰ってないな、実家に。