海とメロンパンと恋


side 秋本陽治



「ヤベェ」


クミちゃんが頭に連れられて出て行った食堂の入り口から視線が動かせない


「陽治さん、ヤベェっすよ」


隣で誠司も焦っていて

ことの重大さがジワリと攻めてくる


更には開いたままの入り口から
ゾロゾロと入ってきた組員も


ヤベェしか口にしていない


「追いかけなくて良いんすか」


誠司の言いたいことは分かる

だが、組長が『俺が送る』と言ったからには
俺たちはそれに従うしかない

僅か三日ばかりの付き合いだったが
クミちゃんは瞬く間に俺たちの胃袋も気持ちも掴んじまうくらい

可愛くて頑張り屋な子だった

本人は変装しているつもりだろうが
後ろで一つに縛られた髪は綺麗で動くたび良い匂いがするし

眼鏡は度が入っているから伊達じゃないが
思わず外したい衝動に駆られるくらい
透き通った肌に大きな瞳

桜桃みたいな唇は
見るだけで動悸がした

更には料理上手ときて
女人禁制のこの組で
クミちゃんのことを嫌いな奴は居ないだろう

で、ここで一つ問題が生じる

我らが穂高組の組長は女が嫌いだ
飲みに出ても女は両隣には座らせないし

俺の記憶にあるだけで
女に話しかけたことなんて無い

密かに対象が女じゃないかもと憶測が飛び交っているらしいが
事実は誰も知らない

そこまでして女を遠ざけるには理由がある

それは・・・

見合い話が出ただけなのに姐さん気取りで入り込んで来た女がいた所為らしい


“らしい”って曖昧な言い方なのは

組長の側近である大石蒼佑《おおいしそうすけ》さんだけしか知らないことと

その当時の組員は全て破門されて居ないからだ

“らしい”話は武道の稽古で二ノ組の道場に出向いた時に

他の組の奴にコッソリ教えて貰ったこと


龍神会の筆頭、一ノ組の組長である大澤碧斗さんの側近だった田嶋一平さんが

二ノ組の組長になったことで
その大役がうちの組長に回ってきた

僅か二十人あまりの少数精鋭の穂高組が古参を出し抜いた形の大抜擢は
他の組でも興味深々のようで
実しやかな噂話として流れているようだ


で、その女嫌いの組長が
クミちゃんに話しかけて

ご飯のお礼まで口にした
更には夕飯に誘い
断られると心底残念そうな表情になった

組長の意図が読めなくて
兎に角組長からクミちゃんを離すことだけを考えていた俺が
玄関まで見送ろうと声をかけると
それを遮った組長は
クミちゃんの腕を掴んで連れ出した


・・・これは


普通なら組長がクミちゃんを気に入ったと受け取るが

女嫌いの組長に女人禁制の屋敷

益々謎なのに

追いかけてはいけない気がして
胸がモヤモヤする

結局出した答えは


明日クミちゃんに聞けば良いって簡単なもの


食堂に集まった奴らも一様に同じことを思っていた


そんな俺たちは


翌日・・・奈落に落とされることになった


「クミちゃんはもう此処へは来ないよ
アンタらもクミちゃんのことは忘れな」



干柿家政婦商会の千代子婆さんの強い声に
キッパリと言い切られた俺たちは暫く動けなかった




side out







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