海とメロンパンと恋



あの後、時間をかけて落ち着きを取り戻した私は


いつもは遊歩道を牛若丸と一周するのに
それも忘れてマンションへと戻った


マンションの外にはペット用の足洗い場があって

一組、トイプードルを連れた男性が使用していた


「珍しいですね」


牛若丸を連れていると、その大きさに驚かれることがある


「そう、ですね」


見知らぬ人からの問いかけに緊張している私の隣で
牛若丸は小さく唸った


「・・・っ」


今更ながらに気付く


牛若丸は基本的に慣れた人や犬以外には完全無視か唸ることしかしない


頭さんはあんなに近くに居た
それに、私に触れたのに牛若丸は反応しなかった


完全無視と無反応は似ているようで全く違う


あの屋敷に居た牛若丸似の犬を思い出して


また会ってみたい気がした


「どうぞ」


「ありがとうございます」


手早く牛若丸の足を洗って部屋へと戻った


「はいお水」


牛若丸にお水を出して
自分も一気にコップを空にした


濡れた唇を拭おうとして

思い出したのは


唇に触れた頭さんのこと



『胡桃が泣くと俺が苦しい』



胸を締め付けられるような声が
耳に蘇ってきて


それを吹き飛ばすように頭を左右に振った



・・・頭さん



本当の名前はなんですか?


知りたいのに踏み込めない高い隔たりの前で



無性に四国に帰りたくなった








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