みずたまりの歩き方


「どうしてそんなに厳しいことを言ったんですか?」

「やめた方がいいと思うからです」

喧嘩腰の美澄に対して、久賀は平坦な声音でさらりと言った。

「どうしてですか?『頑張れ』って、応援してあげればいいじゃないですか」

投げ出すように膝に置かれていた手を、久賀は静かに握る。

「『頑張れ』なんて、簡単には言えないでしょう」

その声にはわずかに苛立ちが含まれていたが、久賀と親しくない美澄にはわからなかった。

「そうですか?」

「『頑張れ』って言葉は、負担に感じることもあります。少なくとも僕はそう思っていました」

されて嫌なことは他人にもしない。
それは人間関係の基本ではあるが、今はそうですね、と引き下がることはできない。

「一理はありますけど、基本的には挨拶と同じじゃないですか。『おはよう』とか『またね』とか、あとは『応援してるよ』って。いちいちそれに引っ掛かるのは、言う側の問題じゃなくて、受け取る側のメンタルバランスが悪すぎると思いますけど」

久賀は不機嫌そうに眉を寄せ、美澄をじろりと睨んだ。

「僕はそんな風に割り切れません」

久賀はカウンターを降りて回り込み、話を断ち切るようにパソコンに日報を打ち始める。
美澄はカウンターの前まで詰め寄った。

「圭吾くんはまだ小学生です。今すぐは無理でも、これからどうなるかなんてまだわからないじゃないですか」

必死に食い下がる美澄にも、久賀はキーボードを打つ手を休めることさえしなかった。

「棋士のほとんどは小学生でその道を決めます。圭吾くんが今後奨励会に受かる確率は、良くて五分だと僕は思っています。後押しできません」

「でも……」

「将棋で成功できるのは、ほんのひと握りの人間の、さらに小指の先程度の選ばれた人です。そういう人は、奨励会に入る前からわかります。圭吾くんは違う」

将棋はどういうわけか、極端に早熟を好む。
逆に、まったくの素人が晩年になって努力でその地位を獲得したケースはない。
それは単なる偶然と片付けるには、あまりに顕著だった。

また、奨励会は誰でも受験できるわけではなく、アマチュア大会で好成績を残すか、少なくとも小学生名人戦の県代表になるくらいでないと、推薦さえしてもらえない。
圭吾は当然その予選には出ているが、まったく歯が立っていないらしい。

美澄が反論の芽を生み出す前に、久賀は丁寧に摘み取っていく。

「もし受験して、うっかり合格してしまったら、それこそ最悪です。底なしの連敗を記録して心がズタズタになった人もいるし、将棋が嫌いになって、自分が嫌いになって、離れて行く人も多いんです。だから応援はできないし、反対されたくらいでやめる程度の覚悟なら、いずれにせよ棋士にはなれません」

サッカー選手になりたい、アイドルになりたい、世界征服。
小学生の夢の多くは叶わないし、ほとんどの場合夢も変わっていく。
しかし幼いうちは未来を夢見ることこそが重要で、どんな荒唐無稽な夢でもそこに向かう気持ちを応援するものだ。

けれど棋士になるには、圭吾の年齢である程度の「成果」を求められる。
しかもそれは、気合いや熱意といった曖昧なものとは違う。
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