マエノスベテ
「あぁ、早く帰りたい。あの子に会いたいんだ」

横にしたときの、ごとん!
という重たい音、少し転がるときのがらがらとした無機質な音を聞きたい、これは生きてないと確かめたい衝動をこらえる。そして少しざらついた素材を眺めていたい。

「今は目の前のことだ。夜までにきみの『ヴィーナス』に会うためにも」

彼はそれだけ言うと、さっさと先に行ってしまった。
ヴィーナスと言えば、あれは腕がもがれていようとも美しいとよく評されているが、ぼくもきっとそうなのかもしれない。
今部屋にある模型も、手や首がもげたところでちっとも卑しいようには感じないだろう。
生きている人間の場合だと、その美への評価は変わるのだろうか。時おりそんなことを考える。
ごとん!
ごろごろごろ。
ガララララ……
気がつくと転ががってくる『彼女』が光のこもらない目で、何を見るでもなく宙を向く想像をしていた。
 とんでもなくかわいい。
その身体を起こして、丁寧に埃を払う仕草まで鮮明に脳裏に浮かぶ。この埃を払うしぐさが、何よりも胸が躍り高鳴るのは間違いないことで、生きている人間はこれに劣るのだ。
ああ、愛している。
生きていないからこそ!
そして、わめいて愛を乞い絡み付く醜い他人が罰されますように。
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