マエノスベテ

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      ◆

 まず最初に言っておくことというのは、田中さんとは、付き合ってもないし、会っても居ません。
ということです。
――えぇ、お見合い、断りましたよね。


――でも、私には、連絡が来ていたよ?
遊びに行くだの、行っただのとね。


――あぁ、それは、嘘ですよ。

――嘘?

――なんでも、
『私の姿を、
自分にしか晒したくなかった』
とかで、あの彼と一緒ですね。 独占欲がありすぎるがゆえに、私は、何一つ自我を持てなかった。

――断っても、一方的にかい?田中さんからはよく聞かされていたのに。

――えぇ。おかしいでしょう、私に愛想どころか、感情なんてものが欠けているのに『楽しむ』が頻発したらおかしい。

――欠けてるねえ、言われてみれば、そうかもしれないね。
それでも恋をすれば楽しく食事したり、遊園地ではしゃいだりするのかと、人は変わると思ったもんだが。


――人は簡単には変わりません。何かするたびに、過去にしばられる、その過去に寄り添うことで、どうにか前を向くようになる。マエノスベテは、私から自我そのものを取り上げました。
自我がないと、心は組み立ちません。そして自我は、心よりも厄介な仕組みです。
だから今は治しようがないのです。

――嘘、じゃあ、新たに紹介したって良かったわけだね。

――「うそうそ、あなたには田中さんが居るからね!」
とみんなの前で言われたとき、私はどうしようかと焦りました。冗談にしても、冗談じゃない。










2019/06/27 09:17
三人と、おばさん。
 まず『彼女』が話したのは、おばさんが田中という人を仲介した後付き合い続けていると思っていたというものについての事後報告だった。
 マエノスベテに傾倒していたウシさんが怒った理由の背景におばさんのおせっかいが絡むだろうということは、あそこまでのことがあれば誰でも推測がつくことだろう。

それとなく、『彼』についてもぼくらはおばさんに付け足した。
「ほー。田中さんと、『その彼』、かつて付き合いがあったけど、知らんかったかね」

「いや、たぶん『知っています』」

答えたのは、ぼくの友人の彼だった。

「知っているからこそ怒り狂ったのでしょう。田中さんと、彼女に付き合いがあることにされる話が、少なくとも数人に広まる。数人に広まってもやがては、街全体に理解が及ぶはずです、マエノスベテ――いや、
あの人が、フラれた、と。

そりゃあ大ニュースですからね、あれだけ、さわいでれば」


「何かされたの?」

おばさんの問いに、彼女は、なにも答えなかった。一気にリヒャルトシュトラウスと言おうとして噛んでしまいもう一度口にするのが畏れ多くためらわれるような、そんな感じがした。

「でも、それで今更『派手』という言いがかりをつけるものかな、ウシさんは、他人の派手さには興味無さそうだったじゃないか?」

ぼくは彼、に振ってみる。

「さあね、前から思ってたのかもしれないし、何かあったかもしれないし?」

2019/06/27 21:38
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