僕惚れ①『つべこべ言わずに僕に惚れろよ』
***

「こんにちは」

 食堂を素通りし、二階にあるカフェの扉を開けると、ここを一人で切り盛りしている水沢菜摘さんと目が合った。

「こんにちは、池本先生。――お昼は、もう?」

 大学、という場所柄か、別に教員というわけではないのだが職員というだけで「先生」と呼ばれることがままある。

 最初は凄く違和感があったけれど、大分慣れた。いちいち否定するのも面倒なので、最近はそのまま流すようにしている。

「いや、まだなのでお願いしようかなと思って……」

 前に珈琲を飲みに来て、下の食堂ほど本格的ではないにせよ、軽食程度なら頼めると知ってから、僕は時折ここで昼食や夕食をとるようになっていた。

 下だと何となく落ち着かないのが、こちらの店舗だと静かで読書にも向いているからだ。

「オムライスと……食後に珈琲をお願いできますか?」

 ここのオムライスと珈琲は絶品だ。いや、何でも美味(うま)いのだが、僕はその二つが特に気に入っている。

 オーダーを取りに来た彼女にそう告げると、僕は読みかけの小説に目を落とした。

 店内には今は僕しかいない。

 時間帯によっては満席で入るのを諦めることもあるのだけれど、空いている時間帯を把握できたら、結構のんびり出来ることを僕は学んだ。

 四年生は授業がなければ大学自体に来ない子もいるし、他の学年の子達は大抵講義が入っているのだろう。

 昼のこの時間は結構穴場だったりする。

 葵咲(きさき)ちゃんもきっと今頃授業中だろうな。

 本を開いているものの、どうもよそ事ばかり考えてしまう。

 結局オムライスが運ばれてくるまで、僕は一行も読み進めることは出来なかった。
 僕はあの日以来、あまりにも色々なことが手に付かなくなってきている。
 
 覚悟を決めて夜にでも彼女に電話しよう。

 そう、思った。
 
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