扉が閉まったら
「ぷっ……はははっ」

エレベーターのドアが閉まると、直人さんは堪えかねた様に突然噴き出した。

「ど、どうしたんですか!? 急に笑い出して」
「ははっ、悪い。お前の反応があんまり素直だから、つい」
「え?」
「顔、すごいニヤけてるぞ」
「っ……!」
「それから、耳まで真っ赤だ」
(ほ、ホントだ……)

咄嗟に頬を覆った両手に伝わってくる体温は、自分でも分かるほどに熱い。

「だ、だって……久々に直人さんに会えて嬉しかったから……」
「ああ、俺も。久々に沙紀に会えて嬉しいよ」
「……本当にそう思ってます?」
「疑うのか? ひどいな。本当にそう思ってるって」
(その割には、随分余裕だけど……)

思わず尋ねてしまいたくなる程、直人さんは涼しい顔で言ってのける。

(なんか、わたしだけヤキモキしてるみたいで悔しい……)

大人で、余裕で、飄々としていて……。
直人さんがこういう人だと、分かってはいるつもりだった。

(それでも、やっぱりズルいって思っちゃう……)

「なんだ、拗ねたのか?」
「……」
「唇、尖ってるぞ」

大きな手がわたしの頭に触れる。
それだけでも心地良いのに、直人さんは優しい手つきでゆっくりと撫で始めた。

(ほら、こういう所も……)

飄々としているクセに、人の心の動きには敏感だ。
その上で、わたしがどうすれば喜ぶか知っているから性質が悪い。

「沙紀」

身を屈め、わたしを覗き込む様に見つめながら名前を呼ぶ。
その声は、頭を撫でる手と同じく優しくて温かい。

(わたしがこうされるの、弱いって知ってるくせに……)

分かっていながら、絆されてしまうわたしも大概だと思う。

「別に拗ねてないです。ちょっと、寂しかっただけで……」
「……」
「でも、少しでも会えたので、これで残りの繁忙期も乗り越えられそうです」
「……悪いな、最近かまってやれなくて」
「いえ、忙しいのはお互い様ですし、仕方ないって分かってますから」
「そうか……今日はもう帰るのか?」
「はい、久々に定時に上がれたので。直人さんは?」
「俺も……と言いたいところだが、まだ仕事が残っててな」
「そう、ですよね……」

もしかしたらと淡い期待はあったけれど、奇跡はそこまで続いてくれないらしい。

(まあいっか、こうして会えただけで、十分……)

「そんな顔そるな」
「え……?」
「眉、下がってるぞ」
「 ……!」
「隠してももう遅い」
「うぅ、すみません……」
「そんな顔されたら――我慢出来なくなるだろ?」

ぽつりと、低く呟くのが聞こえた。

「え?」

その言葉の意味を考えるより先に、強い力で腰を引き寄せられる。

「んっ……!」

驚くよりも先に、唇を濡れた熱いもので塞がれた。


「……っ、はぁっ……」

それは触れるなんて優しい感触では無くて、深く深く、喰らう様に重ねられる。

(さっきまでの人と別人みたい……)

普段の飄々とした姿からは想像できないキスは、回数を増すごとに激しくなっていった。

「んっ、はぁっ……直人、さ……っ」

息苦しさに直人さんの胸を押し返す。
けれど、その腕は痛い程にわたしの身体を抱きしめて離してくれない。
それどころか、呼吸さえも困難なほどに、より深いところまで奪われる。

「はぁっ……ちょっ……こんな、ところで……」
「『こんなところで』だから良いんだろう?」

漸く解放されたかと思うと、濡れた唇は目の前で意地悪く弧を描く。

「密室とはいえ、ドア1枚向こうでは大勢の人がまだ働いている……。
 例えばもし、いまエレベーターのドアが開いてしまったら…‥そう思うと興奮しないか?」
「っ……」

耳元でゆっくりと囁かれた言葉に背筋が粟立った。
直人さんの言う通り、ここは社内のエレベーターの中だ。
いつ誰が乗って来てもおかしくはない。

「な、直人さん、もう……」

止めましょうと言いかけた唇を、直人さんは言葉ごと奪っていく。

「大丈夫だ。ドアが開く前には止めるから……。まあ、キスぐらいなら見せてやってもいいけどな」
「そんな……んっ……!」
「お前がそうやっていい顔をするから、見せつけてやりたくなる……」

キスの合間に零されたその言葉は、まるで麻薬の様だ。
わたしの耳から入り込み、じわじわと背徳感を煽り、やがて刺激となって全身に広がっていく。

「ほら……逃げないで、舌出して……」
「ふっ…‥‥んぁ……」
「そう……いい子だな」

それはまるで先程の言葉通り、誰かに見せつけているかの様に感じた。
先程の激しさは鳴りを潜めて、今度はじっくりと時間をかけて絡めとられていく。

「直人さ……」

不安になって見上げると、直人さんの楽し気な表情が写った。

「どうした? いつもより感じてるみたいだけど」

白々しく尋ねる彼の瞳は、楽し気に細められている。

「はぁ……ほんと、かわいいな……」

甘い言葉は、熱に浮かされる様に何度も繰り返された。
その度に体の奥から熱が込み上げてくる。
きっとそれは僅かな時間の筈なのに、わたしにはとても長く感じられた。

「はぁ……残念、時間切れだ」

直人さんは吐息混じりに呟くと、濡れたわたしの唇を親指で拭う。

「ほら、もう1階につくぞ。ひとりで立てるか?」
「え……?」

いつの間にか、わたしは直人さんに寄りかかっていた。

「わっ、すみません……!」
(あれ? わたし……)

慌てて身体を離すと、足が震えているのが分かる。

「どうした? もうドアが開くから、いつも通りでいないと変に思われるぞ?」

直人さんが意地悪く微笑むと同時に、エレベーターのドアが開いた。
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