扉が閉まったら
「じゃあ岡田さん、お疲れ様。気を付けて帰ってね」
「は、はい……」

エントランスに出ると同時に、直人さんの表情は上司のものに切り替わる。

(まるで、何事も無かったみたい……)

一瞬、あれは全てわたしの妄想だったんじゃないかとすら思ってしまう。

(ううん、妄想なんかじゃない。だって、こんなにしっかりと残ってる)

唇に熱が。
腰に痛みが。
耳元に残響が。
そして身体の奥に燻っているものが……

「岡田さん? どうしたの?」
「え? あ……いえ!……じゃあ、お先に失礼します。お疲れさまで――」
「ちょっと待った」

不意に、直人さんの顔つきが変わった気がした。

「岡田さん、手を出して」
「え?」
「ほら、早く」

促されるままに両手を差し出す。
すると、直人さんがポケットから取り出した何かを手の上に置いた。

「これ……」
「俺の部屋の鍵」
「え?」
「お前、このまま俺の部屋に行ってろ。仕事終わらせてすぐに帰るから」
「ちょっ……!」

思わず声を上げかけて、周りを見渡す。

(良かった、誰も聞いてなかったみたい……)

「どうしたんですか?こんな所でそんな話……」
「大丈夫だよ。みんな忙しくて俺達の話なんて聞いてないから」
「そうかも知れないですけど……それに、直人さ……結城課長の部屋にって……」
「嫌か?」
「そういう訳じゃ……」
「じゃあ、決まりな」
「だいたい、さっきのだけで俺が満足すると思うか?」
「っ……!」
「言っただろ?『俺も』って。折角会えたのに、これだけで済むわけがない」
「足りない分は後で貰うから――覚悟しておけよ?」

囁きには程遠い挑発的な言葉に、ぞくりと身体が震える。
思わず見上げた直人さんは、わたしの反応を楽しんでいるかのようだった。

「それで?答えは?」
「っ……『お引き受けします』」
「ふっ……『ありがとう。助かるよ』」

素直に頷くのが悔しくて、せめてもの抵抗で仕事用の取り繕った言葉で返す。
すると、直人さんも同じ様に仕事用の笑顔で微笑んだ。

「『それじゃあ、よろしくね』」
「……『かしこまりました』」
「あ、そうだ。それともう一つ……」
「はい? なんでしょう」
「帰るなら、その顔、もう少しどうにかしてからの方がいいぞ。さっきのキスの所為で、お前、すっごいエロい顔してるから。そんな顔のまま外に出たら、変な男に声かけられたら困る」
「……!」
「はははっ」

咄嗟に両手で顔を覆ったわたしを見て、直人さんがおかしそうに笑う。

「……もしかして、からかってます?」
「ん? さあな。でも、嘘は言ってないと思うけど」
「それってどっちです?」
「ははっ、じゃあ、また後で」
「あ、ちょっと……!」

あいまいな言葉を残して、直人さんは行ってしまった。

(もう……本当にずるい……)

軽やかに去っていく後姿を見ながら、手の中に残された鍵を握りしめる。
そこにはわずかに、彼の熱が残っている様な気がした。
< 3 / 3 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:29

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

その鍵で開けるのは

総文字数/2,296

恋愛(純愛)1ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
廊下を抜けたその先は、ふたりの逢瀬の場所。

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop