腹黒梨園の御曹司は契約結婚の妻を溺愛したい
3.スキャンダル炎上
支度ができた頃、御苑屋の付き人だという左右七さんが車で迎えに来た。薪歌舞伎の日に、私を送ってくれた内弟子さんだ。
後部座席の隣に座るお母さんは終始無言で、気詰まりなまま連れて行かれたのは南座近くの長楽館という三つ星ホテルだった。

隠れるように裏口から入り、車を降りると……松川左右之助が待っていた。
「お待ちしておりました」
地味だけど見るからに質のいい和服が、涼しげで端正な美貌を引き立てている。その姿を見るだけで、あの夜の記憶が私の胸を騒つかせる。
優雅な所作で歩くと、裾が翻って裏地に凝った刺繍があしらわれているのがチラリと見えた。なんとも粋な着こなしだ。
ああ、やっぱり素敵な人だなあ……って、そんなこと言ってる場合ではないのだ。

案内されたのは最上階のスイートルーム。
柏屋の現当主、志村鴛桜(しむらえんおう)が待ち構えていた。
「鴛桜師匠、この度はお時間をいただき申し訳ございません」
「挨拶はいいよ」
柏屋の名跡を継ぐ偉大な歌舞伎役者の存在感に圧倒される。

私のお父さんだっていう桜左衛門の長男だから、私の腹違いのお兄さんということになるんだろうけど……いやいやいや、とてもそんな風には思えない。
40代後半という役者としては脂の乗った年齢を迎え、まだお兄さんというよりお父さんという方がしっくりくる。いや、自分の身内だというにはあまりにも恐れ多い。
これまた尊敬する役者さんと、こんな形で対面することになるなんて。

「和泉芙蓉さんと、日向子さんです」
「まったく……母親が母親なら娘も娘だねえ」
会うなり嫌味が飛んでくる。鴛桜はこの上なく不機嫌そうだった。私のことはいいけど、私のせいでお母さんがそんな風に責められるのは居た堪れない。
「ご無沙汰ばかりな上に不義理をしております」

けれど、さすが小さいとはいえ老舗料亭の女将。お母さんは堂々とした態度でスッと頭を下げる。
「せやけど奥様が亡くなってからの男女の付き合いに、苦言を呈するのはどうですやろ」
そっか、桜左衛門は奥さんに先立たれているのか。そんで、お母さんとは奥さんが亡くなってからの付き合いなわけね。不倫じゃなくてよかったよ。
「天につばするという言葉もありますやろ」
「む……」
お母さんがにっこりと笑い、鴛桜が渋い顔になる。

天につばする……鴛桜の艶聞っていろいろ聞くもんねえ。
世間ではどういうふうに言われてるかあんまりよく知らないけど、美芳に出入する柏屋の役者さんや裏方さんからはたまに耳にすることがあった。
だけどいくら相手が本人といえども、お店で見聞きしたことをこうして外で話すのはご法度なのに。
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