想い出は珈琲の薫りとともに
「それでも……」

 薫さんは小さく呟くと私の手に自分の手を重ねる。

「私は乗り越えたい。自分の意思で、力で。その姿を亜夜に見て欲しい。そう思っている」

 真っ直ぐに射抜くような眼差し。その瞳を見つめ返して力強く自分の想いを言葉にする。

「薫さん。私にできることは何もないかも知れません。でも、そばにいることはできます。急がなくてもいいんです。私は、ずっと一緒にいますから」

 重なった手に力が込められると、薫さんは小さく笑うように息を漏らした。

「亜夜はいつも私に勇気をくれる」

「私も薫さんからもらってます。だから……、自分は無力だなんて悲しいこと、言わないでください」

 さっきの話の中で、薫さんは言った。

『祖父に言われるがまま今まで生きてきた。自分の無力さを痛感するよ』

 けれどそれは違う。指図されているだけの人に、誰も着いては来ない。井上さんをはじめとして、薫さんの会社にいる社員の方々。アルテミスを作り上げた人たちだ。薫さんは自分が思っている以上に情熱的に仕事に取り組んでいる。そして、その熱い想いは形になって存在しているのだ。
 だから、きっとやり遂げる。その方法を見つけられるはずだ。

「ありがとう」

 泣きそうにも見える笑みを浮かべたその顔を見て、私は覚悟を決める。
 薫さんが自身の置かれた立場と向き合うように、自分も今まで逃げてきたことに向き合おうと。
 

 カップを片付けソファに移動すると、同時に寝室から薫さんが出てきた。

「ふうはどうでしたか?」

「よく眠っていたよ」

 微笑みながら薫さんは隣に座ると私の手を握る。

「ずっと眺めていたいと思ったよ」

 心の底から感動しているような横顔。想像以上に風香の存在を喜んでくれているのが伝わってくる。

「眺めてるとこっちも眠くなってくるんですよ?」

 くすりと笑いながら私は言う。

「そうだね。わかる気がするよ」

 静かなリビングで私たちは肩を寄せ合う。
 しばらくそうしたあと、私はおもむろに話を切り出した。
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