想い出は珈琲の薫りとともに
「マジで。しかもさ、うちのばあちゃんに言ってきたらしいよ。『薫さん、お付き合いなさるお相手を考えたほうがよろしいんじゃ?』だって。ほっとけよな」

 安藤は腹を立てながらも半分呆れているようだった。

 富や名誉、地位を持っている相手に取り入ろうとするもの、足を掬おうとするもの。持つものが大きければ大きいほどそういう輩は増えていく。そんな気がするのは、薫さんを身近で見ていたからだろうか。

「そろそろ……会長の耳にも入っているのかも知れませんね」

「だろうね。御大、何か言ってくると思う?」

「どうでしょう……」

 もしかするともう調べなどついているのかも知れない。そう考えると、今日亜夜さんの姿を見せないようにしたのは正解だった。

「けどさ……」

 安藤は急に言い辛そうに口籠る。不思議に思い顔を上げると安藤は頭を掻いた。

「乃々花が言ってたんだけど……」

 『自分の妻』の名を出すと戸惑い気味に切り出した。

「いや、ほら。薫さんと正式に婚約を解消したときさ。乃々花、市倉の親父さんと穂積の本家に謝りに行ったじゃん?」

 婚約はしたもののほぼ会うことのなかった乃々花さんが単身ここを訪れたのは一年と少し前のこと。
 そのとき薫さんと私は何度目かのローマ訪問中だった。安藤はこちらに残っていて、そして婚約解消の申し出を受けたのだ。
 無論、お嬢様の気まぐれと最初は相手にしなかったらしい。が、市倉家(いえ)の名前でなく一人の力で生きたいと言う乃々花さんを手助けするうちに『絆された』、なんてことを照れ隠しのように言っていた。
 
「そうでしたね。会長はやけにあっさりしていたとか?」

「そうなんだよなぁ。親父さんもさ、今後の取引きに影響することも覚悟してたらしいんだけど」

「しなかった、というわけですね?」

 あの婚約は家同士の繋がりだったはずだ。それをほぼ一方的に解消するということは、それ相応のペナルティがあって当然だ。

「でさ。乃々花、言ってたんだよ。薫さんは、御大のことを――――」
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