想い出は珈琲の薫りとともに
 うっとりとしたような、恍惚とした表情で私に応えたかと思うと、目が合うと恥じらうように顔を背ける。それを見て微笑むと私は亜夜を腕の中に閉じ込めた。しばらくその背を撫でてから私は切り出す。

「まもなくお盆だけど、何か予定は?」

「いえ……。特には。店も時間は短縮しますけどお休みではないですし。薫さんは? お休みですか?」

 顔を上げて穏やかな表情を見せ亜夜は尋ねた。

「今はアルテミスも営業しているし、元々海外相手の仕事だから一斉に休業はしないんだ。お盆はかなり少なくはなるが出社するものもいる」

「そうなんですね。私はほとんど変わりなく出勤の予定です。……その。薫さんはご実家に帰られたりは……」

 ごく当たり前の質問。きっと尋ねられるだろうと予想はできた。

「お盆の土曜日に一度本家の集まりがある。それには顔を出さなくてはいけない。それだけだ。ちゃんと帰るから」

 不安げに揺れる瞳に言い聞かせるように言うとこめかみに口付ける。唇が離れると、亜夜は頭を私の肩口に傾けた。

「その前に、お祖父様にお会いしてこようと思う」

 本家の集まりまでは三週間ほど。それまでにお祖父様に筋を通しておかなければと本当は少々焦っている。それもこれも自分の不甲斐なさが原因だとわかっている。六月末から七月上旬は、お祖父様もお忙しいからと自分に言い訳をして、なかなか行動に移すことができずにいた。だが、もうその言い訳も通用しない。

「無理、しないでください。私は大丈夫です」

 膝に乗せていた手に自分の手を重ねると亜夜は静かに言った。
 知らず知らずのうちにその手は震えていたのかも知れない。亜夜から伝わる温もりがそれを抑えてくれているような気がした。

「いつかは向き合わなければいけない。今がその時なんだよ」

 世の中には多種多様な家族の形がある。きっと亜夜は、人よりも家族と向き合うことの難しさを知っている。世の中には良好な関係ではない家族が存在していることも。
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