想い出は珈琲の薫りとともに
 心配そうに私を見上げる亜夜に笑みを返すと、話題を変える。

「風香の誕生日、休暇を取ろうと思うんだ。亜夜はどうする?」

 私の大切な家族は、もうここにある。誕生を一緒に歓び合えなかったことは今でも悔やまれるが、後ろばかり向いてはいられない。これからをどう家族として慈しみあっていくか、それだけを考えていたい。

「いいんですか? 私もその日はお休みにしようと思ってて」

「よかった。どこか出かけるかい? それとも家で過ごす?」

 重ねられていた手を返し指を絡めて握る。亜夜は顔を綻ばせ私を見つめた。

「家で……家族三人で、ゆっくりしたいです」

「そうだね。そうしよう」

「はい。……あの。薫さんのお誕生日はいつですか?」

 そういえば、私たちはそんな話しをちゃんとしたことはない。お互い自分の話はそうしないからだ。いつも話題の中心は風香のこと。そして日々のたわいない話。

「私は五月二十一。亜夜は?」

「私は十月十六日です。そっか、もう過ぎちゃったんですね」

 目に見えて残念そうな顔をする。もしかしたら祝ってくれるつもりだったのかも知れないと思うだけで微笑ましくなる。こんな年になって祝ってもらいたいわけではないが、その気持ちだけで嬉しくなる自分がいた。

「亜夜の誕生日は一緒に祝える。今からスケジュールを空けておこう」

「今年は日曜日なんです。風香も少しは歩けるようになってるかも。一緒に自然豊かな場所に行けたら嬉しいです」

 亜夜はほんの細やかな願いを嬉しそうに口にする。すぐに叶えられそうな小さな願いなのが、らしいと思ってしまう。

「あぁ。そうしよう。いい季節だしね」

「はい。いつも誕生日になると思い出すんです。実家から見える山が紅く色付いているのを眺めるのが好きだったなって」

 実家から足は遠のいているが、決して自分が生まれ育った場所が嫌になったわけではなさそうだ。

「きっと美しいんだろう。いつか……見に行こう」

 そう言って亜夜の手を握りしめた。
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