想い出は珈琲の薫りとともに
7.sette
 六月に入ってすぐの金曜日午後。
 最近はすっかり汗ばむ日も増え、アイスコーヒーが多く出始めたことに季節を感じていた。
 昨日は休みだったから、明日も仕事だ。だからなのか、週末という気はなんだかしない。

「亜夜。ちょっと」

 少し客足も落ち着いてきて、カウンターの端で周りを整頓していた私を、真砂子は手招きしながら小声で呼んだ。

「何? どうしたの?」

「物販のお客様……。なんだけど……」

 言いづらそうに口籠ると、真砂子は決まりの悪そうな表情を浮かべる。なんだろう? と物販コーナーを覗き見ると、豆を眺めるライトグレーのスーツを着た男性の姿が見えた。

「ほんとゴメンっ!」

 お客様からはあまり見えないカウンターの隅で、真砂子は突然手を合わせた。

「亜夜のこと勝手に喋っちゃって!」

 もしかして、先に井上さんに謝罪されたのだろうか。前も真砂子のことを気にしていたし。
 真砂子は真砂子で罪悪感を感じていたのかも知れない。あまりにも必死に謝る真砂子の姿に、こちらのほうが逆に申し訳ない気持ちになった。
 それに私も、井上さんと何度か会っていることをなんとなく言い出せないでいた。

「謝ることじゃないって。気を遣わせてごめん。大丈夫だから心配しないで」

「なら……いいんだけど」

 まだ安心できない、と言いたげな表情のまま、真砂子は私との距離を縮め囁いた。

「あの人……ふうのパパ、じゃないよね?」

 真砂子には、風香の父親はローマで知り合った日本人だとしか伝えていない。それに、井上さんと私がどう知り合ったか真砂子は知らないはずだ。

「違うって。そんなわけないでしょ? ただの知り合い。私、ご対応してくるね」
 
 明るく返し、手を軽く振りながらその場を離れる。

(さすがに、この人はふうの父親の秘書です、なんて言えないよね)

 私が向かうとそれに気づいた井上さんが笑みを浮かべる。

(真砂子が知ったら井上さんに八つ当たりしそうだし)

 そんなことを思いながら自分も笑顔を返した。
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