若き海運王は初恋の花を甘く切なく手折りたい
「じゃあ、クルーズのあいだは恋人らしくマツリカと呼ぼう。だけど俺はまつりいか、って口にしていた幼い日の貴女を知っているよ」
「――?」
「俺のことが記憶から消えてしまったのは残念だけど、俺はあのときのことをすべて覚えている……」

 困惑するマツリカを前に、カナトはやさしく言葉を紡ぐ。

「これから二か月のクルーズのあいだ、貴女は俺の恋人になる。それまでに思い出してくれればいい」
「思い、出す……」
「俺が教えてあげる。でもその前にまずは朝食を食べてからだな」

 切ない瞳を向けられて、マツリカは自分がほんとうに求められているかのような錯覚に陥ってしまう。
 恋人のふりだけのはずなのに、カナトはすでにマツリカを恋しいひとのように扱っている。
 だからカナトがさきほどいっていた「恋人同士に見える練習」のことなど、すっかりあたまのなかから抜けていたのだ。
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