三次元はお断り!~推しが隣に住んでいまして~
 ずびっ、と鼻を啜って、ティッシュを一枚。ぼろ泣きした目の涙を拭って、わたしはPCの前から立ち上がった。

 配信のチケットはライブで見られるだけじゃなくて、そのあとディレイ配信もあるし、アーカイブも期間限定だけど見られる。だからついつい、エンディングを巻き戻して何度も見てしまった。
 いやだって反芻しちゃうじゃん。何度だって見たいじゃん。うう、本当に最高だったよ全わたしがスタンディングオベーションだったよ……。

「えーと多分そろそろ火入れしていいよね」

 舞台が終わったのが、アンコールとか含めて午後十時近く。
 そこから着替えて、荷物とかまとめて、挨拶とかして、移動して……現在時刻は、午後十一時半ちょっと過ぎ。

 わたしはぽちっとコンロの火を点けた。
 今日はちょっと豪華に、くつくつ昼間中かけて煮込んだビーフシチュー。ブロックで買った牛肉はごろっごろに大きく切って、弱火でじっくり煮込んだのでほろっほろだ。
 人参とじゃがいも、カリフラワーは別茹でしてある。お皿に盛りつける時に、きれいに並べればOK。

 添えるのはショートパスタ。
 それから、刻んだパセリを混ぜ込んださっぱりライス。

 それにセロリとパプリカで作ったなんちゃってピクルスで野菜を補って、ついでにヨーグルトとカスタードと固めに泡立てたホイップを混ぜて、ムースもどきも作っておいた。

 トレイの上にお皿を並べたところで、ピンポーン、とインターホンが鳴る。

「はーい」
『ただいま、スズちゃん。今大丈夫?』

 小窓に映るのは、つい先ほどまで、PCのモニタで見ていた顔だ。
……だいぶ髪がもしゃもしゃになって、目元がすっかり隠れてしまっているけれど。

「大丈夫ですよ。今、鍵開けますね」

 わたしはエプロンを外して、ぱたぱたリビングを出る。
 玄関の鍵を開けて、そして。

「おかえりなさい。お疲れさまでした」
「……うん、ありがとう。お邪魔します」

 ほわん、と笑った推しこと、カグツチ役の累さんを、自分の家に迎え入れた。









 ドアを開けて顔を見合わせるなり、累さんはちょっと眉をひそめた。

「どうしたの?」
「え?」

 えっ、何か変かなわたし。確かにこんな時間にしてはきちんとした格好をしてますけど、累さんにはだらしない部屋着姿とか見せたことありませんよね!? むしろそんなもん推しの目に入れられるか許されない!

―――累さんが、わたしの家でごはんを食べるようになってから、一週間が経つ。

 いやまさか推しが隣の部屋に住んでるとは、むしろ大学時代の先輩の弟さんだとはというだけでも驚きだけど。
 まさか推しが毎日自分ちで、自分の料理を食べることになるなんて思わないよね。夢小説もびっくりだよ、設定が甘いご都合主義すぎますマイナス二十点とか言われちゃうよ実際。

 ないわー。

……でも。

「目が赤い。……もしかして、泣いてたの? 何か嫌な事でもあった?」

 累さんはそう言って、気遣わしげにわたしの頬をそっと包む。
 ひいいいいいい毎回の事ながらファンサが過ぎませんかわたしの推しぃいいいい!

「い、いえ、泣いてたというか、いえ確かに泣いてたんですけどそれはあの」
「やっぱり。今日は会社、休みだよね。プライベートで?……何かあったの。俺に、何か力になれることはある?」

 スリ、と親指が、赤くなった目元を撫でる。うわあああん先輩ー!! 累さんってスキンシップというか距離感が! 近いよね!?

「いえ、あの、あったとかなかったとかじゃなくて! 大千穐楽、本当にお疲れさまでした!! わたしもう感動して……!」
「……ああ、」

 累さんは険しげだった目元を、もしゃっとかぶせた前髪の隙間からふわっと和ませた。

「そっか、見てくれたんだ。配信?」
「はい……」

 お席は……! ご用意されませんでした……ッ!!

「ありがとう。……うん、そんなに目、赤くなるまで泣いてくれるほど、良かった?」
「それはもう! 六回目ですけど何度見ても号泣です」

 ふふっ、と累さんはちょっと照れくさそうに肩を竦めて。

「嬉しい。……ありがと、スズちゃん。頑張って良かった」

 笑って、親指の腹でキュっとわたしの目尻の辺りをもう一度撫で、それからやっと手を離した。

……ねえ。
 でも、これが現実なんですよ。まじで。
 このいかにもご都合主義な設定が、現実。

 ないわー!!

 心の中で、絶叫する。
 だけど顔には微塵も出せないのがしんどいところ。

「……いいにおいがする」

 だって、目の前にいるのは確かに推しの「ルイさん」だけど。
 それと同時に、先輩の弟さんで、一人の男性である「累さん」でもある。

 姉の後輩、隣人、で、尚且つ食事の世話をしている人間がキャーキャー騒いでいたらイヤだと思うもん。
 だからわたしは毎日、推しのファンサ(ファンサじゃないんだけど! 実際!!)を頬肉噛んで堪えてる。しんどい、けどやっぱり目の前にどう見ても優勝してるお顔があるのは幸せでもある訳で。

 うう、情緒があっちこっち……。

「もう、ごはん出来てますよ。すぐ食べられます」
「嬉しい。お腹空いてたんだ」

 デスヨネー!
 三時間みっちり走って跳んで叫んできたあとですもんね!!

「どうぞ。すぐに出しますね」

 わたしは慌ててキッチンに走った。
 推しを空腹にしてはならない……! その一念で始めたことだもの、初志貫徹しなきゃ。ハイここ大事!

 いわばわたしは累さんの飯炊き女。そう、下働きの料理番!! 偶然推しの家に雇われることになった使用人ですなんというご褒美!

「わ、今日はビーフシチュー? 豪華だね」
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