冷徹ホテル王との政略結婚は溺愛のはじまりでした


 冷たくて怖い表情を知っているだけに、怒られるんじゃないかって少し怯えていたけれど、案外素直に受け入れてくれた。

 もしかして、本心を見せない孤高のカリスマ気質に見えて、実は押しに弱いタイプなのかな。


「無理を言ってごめんなさい。ゆっくり休んでね」


 そろそろ職場へ向かおうと、声をかけて背を向ける。

 そのとき、ふいに袖を掴まれた。

 引き止める仕草に驚いて振り向く。眠りに落ちかける目はとろんとしていて、甘えているのだと錯覚しそう。


「な、何?」


 声が震えた。椿さんの心が読めない。


「ひとつだけ……謝らないといけないことがあった」

「謝らなきゃいけないこと?」

「藍のグロスを、一本だめにした」


 予想外のセリフだ。心なしか、悪さをした犬みたいにしょんぼりしているのが珍しくて、ついまばたきをする。


「どういう意味?」

「ニューヨークに発つ前、メイクポーチを貸してくれただろ? 別れ際に言ってたコンシーラーがどれかわからなくて、適当に開けたら全部テーブルにぶちまけた。見てたスタッフが、それはグロスだって」


< 58 / 202 >

この作品をシェア

pagetop