まどかな氷姫(上)~元妻は、愛する元夫からの愛を拒絶したい~
「しらたまちゃんって、円のなに?」
「………」
唇の動きに注いでいた視線を上げると、彼の静かな眼差しと交差した。
じっと、私の目の奥にあるものを見定めるような視線。
「………入学式で初めて会ったばかりの、ただの同級生です」
負けじと見つめ返しながら言えば、佐々木君は一度、視線を横へと滑らせた。
「……会ったばかり、ね」
「それが何か?」
「いや……」
彼は顎に手を置き、
「あいつ、小さい頃から人見知りが凄くてさ」
(知ってる)
「でも優しいから、色んな人間が群がってくるんだよ」
(そうね)
心の中で相槌を打っていれば、それが聞こえたかのように、佐々木君の視線が戻ってきた。
風のない湖の水面のような目が、私を見る。
「あいつは自分から人に関わらない。……いや、関われないんだ」
「…………」
今度は私が目を伏せた。
彼の言葉には、覚えがあったから。
遥か昔。
あの時もそうだった。
(全く関わらないわけじゃない。関われないわけでもない)
けれど、彼のいうことは真実だ。
――彼は、何もしなくても人を寄せてしまう。
自分から関わろうとすることすら不可能なほどに。
周りが、他者が。
花に群がる蝶のように。
蜜に寄る蜂のように。
例外なく彼を求める。
(その先に得られるものを、本能的に理解しているから)
『どうか、私の話を聞いてください』
『あの人は最低な人間なんです』
『何故、俺が不幸にならなければいけないのでしょう』
『彼らだけ狡い』
住んでいた山のふもとにある町に下りるたび、人々は夫を囲み、狂ったように怨嗟や不満を吐き出した。
愚痴のような軽いものから、仇討ちのような犯罪を臭わせる重いものまで。
まどかは慣れたように口元を緩め、一つ一つの話に耳を傾け、僅かな言葉を返していく。
それだけで彼らは満たされた顔になり、怨みも憎しみも忘れ、去っていくのだ。
吐き出した黒い澱をすべて、まどかに任せて。
自分たちだけ幸せそうに。