オスの家政夫、拾いました。3. 料理のガキ編
「あ、峯野さん、お帰りなさい。何か食事用意しましょうか?」

家に帰ると、丁度テーブルを拭いていた今瀬さんが声をかけてくれた。せっかく提案してくれたのはありがたいが、あまり食欲がない。彩響が顔を振ると、予想したかのように今瀬さんが微笑んだ。


「分かりました。冷蔵庫にお弁当がありますので、後で食べてくださいね。じゃあ、俺はこれで失礼します」

「あ、あの…」


帰ろうとする今瀬さんを一旦止めたものの、彩響は用件を言い出しかねてもじもじしていた。今瀬さんは察したかのように先に口を開けた。


「すみません、俺にも連絡きてないんです」

「あ…そう、ですか」

「俺から連絡してみましょうか?峯野さんに連絡するように」

「いいえ!大丈夫です」


思わず大きい声を出してしまった。今瀬さんは頷いて、慰めるように彩響の背中を軽く叩いてくれた。


「きっと忙しいだけだと思います。むしろこういうときだからこそ、峯野さんもきちんと食事を取って、元気ですごすべきかと思いますよ。後で連絡きたとき、ちゃんと文句いうくらいの体力は残しておかないと」


この頃健康な生活をしていないことがバレていたようで、彩響は苦笑いで誤魔化した。今瀬さんは軽く頭を下げ、そのまま玄関を出ていった。

また一人になった家で、彩響はソファーに腰を下ろした。癖のようにスマホの画面を確認したけど、やはり林渡くんからの連絡は入っていない。千晶さんに連絡すれば、今どうしているかくらいは分かると思うが…。お兄さんの電話番号を画面に浮かべたまま、「通話」のボタンを押すか押さないかしばらく悩んだ。

(今更連絡してもな…)


林渡くんがこの家を出て約1ヶ月。この家を出たときの気まずい空気を思い出して、きっと向こうも気まずくなったに違いない。それに、もし今電話が来たとしても、なにを話せばいいのだろう?色んな考えが頭の中をくるくる回る中、彩響は結局スマホをソファーの上に投げ捨てた。そのまま倒れるようにソファーの上で横になり、天井を見上げた。耳には未だにあの日聞いた、あの言葉が鮮明に残っている。

ー「彩響ちゃんは、お母さんに愛されるため生まれてきたわけじゃないから」

(愛されるため、生まれてきたわけじゃない…)


自分で何度も同じことを呟いてみても、必死に考えてみても、やはり分からない。どう考えても、母に愛されない自分が、そして母を愛せない自分が嫌で仕方ない。耐えられない罪悪感で苦しくなる。母の子供であることを無かったことにはできない。なら、この苦しみは、やはり死ぬ前には解決できないんだろうか。


そう思うとまた息苦しくなり、彩響は深く息を吸った。死ぬ勇気はない。だから今はただ目をじっと閉じ、早く眠りに落ちることを祈るしかなかった。



当たり前のように仕事をして、また当たり前のように家に帰ってくるだけの生活。時々理央から電話を貰ったり、佐藤くんがまた何か事故ったりもしたけど、特に大きな出来事があるわけでもなく、ただそうやって時間が流れていく。何もかもが普通過ぎて、彩響は「入居家政夫とやらを雇った時期は本当に存在したのか?」とも思ったりもした。ただ、胸の奥に残っている重い石のような感情だけは、未だに解決できずにいた。

突然Mr.Pinkに呼ばれたのは、そんなある日のことだった。



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