オスの家政夫、拾いました。3. 料理のガキ編
「ハニー、ごきげんよう。今日は突然の呼び出しに応じてくれたこと、心より感謝するよ」
「いいえ、丁度今日はお休みだったので、お構いなく」

相変わらず丁寧な口調で歓迎するMr.Pinkを見ると気持ちが晴れる。彩響は軽く挨拶をして、いつものように応接室のソファーに座った。早速Mr.Pinkも座るかと思ったら、今日は珍しく立ったまま彩響へ質問した。

「さて、色々と話したいことがあるのだが…その前に、一つ聞こう。昼食は取ったのかね?」

その質問に、彩響は自分が朝からなにも食べてないことに気がついた。素直に答えようと思ったが、何か言われそうで悩む。そんな彩響を悟ったMr.Pinkはニコッと微笑んだ。

「実はとても美味しい料理があってね、ハニーにもぜひ味わって頂きたく」
「…ここで、ですか?」
「少し待ってくれ」

そう言って、Mr.Pinkは隣の部屋に入った。何かかちゃかちゃする音がした後、Mr.Pinkはお盆の上にお皿を載せ、こっちへ戻ってきた。まるで高級レストランのウェイターのような振る舞いで、Mr.Pinkが彩響の前にお皿を置く。お皿の中身はスープのようなもので、出汁の良い匂いが食欲を唆った。無心で一口食べた彩響は、そのまま手を止めた。

(この味…)

とても優しく、そしてどこか懐かしい味。彩響はじっとお皿を見下ろしていた。自分の記憶が少しずつ鮮明になり、最終的に「ある人」のことを思い出す。びっくりして顔を上げると、Mr.Pinkが説明した。

「口止めはされたけど、約束はしていないので全部話そう。雛田くんがこのオフィスに大量に冷凍ストックを作ったんだ。そして私に頼んだよ。時々ハニーを呼んで、これをレンチンしてあげるようにね。そしてハニーの様子を探ってほしいと」

ー思い出した。このチキンスープは、林渡くんが家にやってきて間もない頃、夜遅く帰ってきた自分のために作ってくれたものだ。それまではうるさくて、生意気で、世間知らずのクソガキだと思っていたのが、このチキンスープを飲んだあの夜から少しずつ変わり始めた。ずっと逃げてばかりだった苦しさに立ち向かい、戦って、でもやっぱり駄目で…。そんな瞬間一つ一つが胸の中で重なり、また涙が出そうになる。彩響はそれ以上スプーンを動かすことができず、そのままじっとしていた。


「一応、本人に聞いたよ。そんなに心配なら、自分から定期的に連絡すればいいのではないかって。でもー」

「でも?」

「『今の自分にはなにもできないから』、と答えた」


そう話す林渡くんの姿が何となく想像できる。きっと少し落ち込んだ様子で、悔しい思いを隠せず眉間にシワを寄せて言ったのだろう。もし今彼がここにいたならば、「そんなことはない」と言ってあげられるのに…。彩響が溜息をつくのを、Mr.Pinkは見守っていた。


「もし、私で良ければ、ハニーの心の声を聞かせてくれないかね?」

「心の声、ですか?」

「元々私は差し出がましい性格で、人の話を聞くのが大好きなんだ。なのでハニーの話もぜひ聞かせて欲しい」


こっちの気持ちを気遣ってくれる優しさが伝わってきて、彩響はニッコリ笑った。しかし、この長い話をどこから始めればいいのかよく分からない。しばらく悩んだ後、彩響は口を開いた。このもやもやした気持ちをなんとかしたくて、どうしようもなかったから。


「…私は、母子家庭で育ちました」

「そうか。それはいつから?」

「私が中学2年の時です。母は特に職を持っていたわけでもなく、パートを転々としながら私を育ててくれました。私も…高校生の時からずっとアルバイトをやって、なんとか生き残って現在に至りました」


チラシ配り、家庭教師、飲食店のホール、データ入力、キッチンの洗い場、ビルの掃除、コンビニスタッフ、お菓子工場のラッピング。少しでも家計の役に立ちたい気持ちで、この世のあらゆるアルバイトをやってきた。手が荒れてボロボロになっても、自分の給料を渡す時の母の嬉しい顔が好きだったから、頑張れた。
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