秘密のノエルージュ
アルバイトがあるのは嘘ではない。でも十七時に開始する歩いて十分のアルバイト先に、十四時から行く必要はない。全くない。
わかってはいるが、咄嗟の言い訳に他になにも思い浮かばない。だから苦しい言い訳を残して大和に背を向ける。
けれど大和は逃がしてくれない。
リビングルームのドアに手をかけると、後を追うように立ち上がった大和の手に、後ろからぐっと肩を掴まれた。
「なんで答えず逃げるんだよ」
「っ……」
「菜帆!」
逃げるな、と強い口調で詰め寄られ、さらに身体を掴まれて。
一瞬躊躇したけれど、結局は逃げた。制止の声を振りきってリビングルームのドアを押し開けると、玄関で靴を履きそのまま大和の家を飛び出す。
転がるように家を出てエレベーターの前まで走る。エレベーターボタンの「↓」を押してから振り返ると、共用廊下には人の気配が一切なかった。彼がそれ以上菜帆を追って来る様子がないことに、ほっと安堵の息を吐く。
びっくり、した。青天の霹靂というやつだ。大和に恋愛感情を持たれていたことなど、全く知らなかったから。
逃げてしまったのは、大和が怖くなったから。苦しくなったから。
ではなくて。
きっと真っ赤になっているであろう今のこの顔を、大和にだけは見られたくなかったから。